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始まり(7) [小説<物体>]

                              始まり(7)

 モンゴルにホーミーという発声方法があり、同時に複数の音を出すことが出来る。それは喉の奥から絞り出すような低い音に重なって複数の高音が共鳴している。言い伝えによれば、出し方を間違うと不幸になったり命を縮めることがあるという。また喉を締め付けすぎて練習中に肋骨が折れたり、練習後に寝込んでしまうこともあるという。
 反対に、優れたホーミーには人間の耳には聞こえない高周波が多く含まれていて、脳波がその音に同調することで不思議な現象を引き起こしたり、潜在能力を目覚めさせることがあるらしい。またその音の響きはチベット仏教の読経にも似たものがある。
 
 二人の出す音は、そのホーミーに似た感じだが、絞り出すような苦しさはなく真綿で包み込まれるような優しさがある。もし二人の音を色に例えたら、プリズムを通して出てくる虹色に見えるだろう。その虹色がどこまでも色を損なうことなく伸びて衰えることがない。
 俺の脳の中枢が穏やかな波に揺られているように感じると、目の前に鮮やかな景色が見え始めてきた。遠景に見たこともない山々が見え、急速にその景色が迫って来る。樹木が生い茂りその下は緑の絨毯が敷かれたように美しい。俺の視野はその樹木の下で見上げるようにして立ち、その樹木がどこまで伸びているのか見当も付かない。俺は視野を正面に向け木肌を見ると、その樹木はサルスベリのように滑らかな肌色をしている。そっと手を伸ばして触れると柔らかく暖かい。まるで人肌のように感じる。とても懐かしくそして切ない感覚が蘇ってきた。どこかで経験した筈なのにはっきり思い出せないもどかしさを感じながら身を委ねていると、足下に違和感を感じた。何気なく見下ろすと緑の絨毯のような地面が少し動き、地中から何かが出て来る気配がする。誰かを呼ぼうとして辺りを見回すと視野が急速に遠ざかり、始めに見た遠景になり視野が閉じてしまった。目を開けるとマー君と早苗ちゃんの背中が見えるが、まだ脳の揺らぎは収まらず、心地よい目眩が続いているように感じる。

「ねぇ、あれを見て!」
 祐子の声は、路上で急に名前を呼ばれたようで、俺の身体はビクリと動いて反応した。その指さす方を見ると、家の前の道路に数人の人が立ち俺たちを見上げている。遠くの方からも人が集まってきているようだ。
 隣を見ると、健二老人も陽介さん夫婦も目を大きく開け驚いたように見ている。俺と同じように目眩から覚めたばかりなのだろうか。しかし誰も口を開かずその光景を見つめ、マー君と早苗ちゃんは身を乗り出すようにして音を出し続けている。祐子もそれ以上何も言わず、指さした手をゆっくり下ろし、集まった人たちを見下ろしている。

 集まった人たちは皆顔を二階に向けているが、その目は閉じられ身体を僅かに揺らしているように見える。目を血走らせて走り回っていた人は何処へいったのだろう。だがよく見ると、中には手に包丁を握っている人や、身体から血を流している人も見える。足下に血が流れ出しそれが水溜まりのようになり始めている人もいる。だがそれでも誰も動こうとせず、二人の声に身を任せている。

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