大江山伝説(4) [小説 < ブレインハッカー >]
大江山伝説(4)
車は十時間程で新宿に着き、潮見が目覚めたときには息子の竜太郎がハンドルを握っていた。車を地下の駐車場に入れると、村上潤三の昼間の居場所である伊勢丹側の地下通路へ向かった。村木は通路の壁に凭れて胡座を組み、いつものように文庫本を読んでいる。眠っているのか、本当に読んでいるのかここからでは分からない。通路を歩く人も村木のことなど視野に入っていないかのように過ぎていく。潮見一人が側に行き壁面に凭れるようにしゃがんで、
「九旗君は?」
と訊くと、下を向いたまま、
「今夜来るよ、いつもの処に。先生追われてるんだろう、特に気になるヤツはいないけど注意して来なよ」
と、ばそぼそとした声で言った。
「どうしてそんなことがわかるんですか」
と驚いて訊くと、
「九旗が言ってたよ、今日来るって。それに誰かに追われてるかも知れないって」
村木はそう言うと始めて顔を上げ小さく笑って見せた。
潮見はそれ以上何も言わずに戻り、とりあえず八王子のマンションに皆を案内した。内心では静恵の突拍子もない話をすべて信じたわけではないが、一方では好奇心の強さが頭を持ち上げ始めていた。2DKの部屋の中は書類やら本が積み上げられ雑然としていたが、四人が座れる場所を確保するとこれからのことを相談した。静恵はこれ以上先生や皆に迷惑をかけることは出来ないと言い、紀夫と息子の竜太郎は残ると言い張った。結局紀夫は今夜昭彦に会ってから息子を残して帰ることにし、潮見は気儘な一人暮らしだからと二人に部屋を使うことを勧めた。
新宿の夜は煮詰まった鍋料理のように、得体の知れない人たちがぶくぶくと沸き出し、淀んだ水のようにあたりを彷徨っている。そしてその中を若い人たちやサラリーマンがざわざわと流れ、どこかへ吸い込まれていく。静恵たち四人がこの町に全く縁のない人間であることは誰がみてもわかり、客引きも声をかけるのをためらった。足早にその人混みを抜けると村木の段ボールハウスがすぐ目に入った。
そこは小さな神社の裏になり、薄暗く人通りもまばらになる。先程の客引きが凌ぎを削る通りと目と鼻の先ということが嘘のようである。段ボールハウスといっても小さなものではなく、周りの立木を巧みに利用しブルーシートの覆いがかけてある。大人四人程度なら楽に寝られるほどの広さもあり、布団や毛布なども十分にあった。いろいろな小物や携帯テレビ、衣類、携帯コンロに簡単な台所用品などがきちんと整理しておいてある。塩見の部屋より余程綺麗に思える。これらが全て一台のリヤカーにきちんと収まるのだ。
潮見が、
「村木さん」
と声をかけると、シートの隙間から村木が顔を出して三人を招き入れた。
「もうそろそろくる頃だけど、今日は連れが多いね」
と村木が嬉しそうに言うと、静恵が丁寧に頭を下げ、
「九旗の妹で静恵といいます。いつも兄がお世話になっています」
と挨拶をした。
村木は、
「こんな美人に挨拶をしてもらったのは何年振りだろう」
と無愛想な顔を崩し中に招き入れた。
古びた灯油ストーブと街灯の明かりで思った以上に暖かくそして本が読めるほどの明るさもあった。
「兄はいつもここにお邪魔しているんですか?」
と静恵が聞いた。
「ほとんど毎晩かな、大抵は泊まっていくけどたまに朝方早く出ていったり、来ない日も時々あるけどね。別に帰るところがあるわけじゃなし、誰が泊まろうがお構いなしでね。この先生もここの常連で、大学が休みになると昼まっからごろごろしていて本当に先生なのかと疑いますよ。」
村木がそう言いながらコンロにやかんを乗せると、ブルーシートがごわごわした音をさせて動き隙間から昭彦が現れた。。
「来たね、思った通りだった。」
と昭彦が嬉しそうに静恵に声をかけると、静恵は昭彦の顔を見るなり、
「一体どういうつもりなの、大変だったのよ」
と昭彦を睨みつけた。
「すまん。連中も躍起になって網を張ってるからね、でもさすが静恵だね」
と何事もなかったかのように腰を下ろした。
静恵は、
「私はいいとしても先生にはご迷惑をおかけしたのよ」
とまだ納得できない。
「まぁいいじゃないですか、私も興味深い話が聞けたし、迷惑とは思っていませんから」 と潮見が助け船を出した。
「先生には嘘をついたようで申し訳ありませんでした。でもきっとこうなるような予感がしたものですから」
と昭彦が頭を下げると、潮見は
「まぁそんなことはいいとしても、これからどうするつもりなんですか」
と昭彦に聞いた。
「とにかく情報収集です。それと兄の行方です。父は本当に死んだと思っているかも知れませんが、私にはどうしてもそうは思えないんです。捕まって利用されているか、どこかに潜んでいるか………今は研究所の人間を一人一人調べているところです」
と答えた。
「なんだか凄い話ですね、でももう慣れましたけどね、静恵さんのおかげで」
というと、
「はっ!はっ!」
と笑い、聞いていた静恵もつられてくすりと笑った。
「誰か仲間はいるの」
と静恵が聞くと、
「いや、俺一人だ。友だちのところには一人残らず警察が聞き込みに行ったみたいで迂闊には近寄れなくなった。俺が行けば友だちに迷惑がかかるし、もう一年ほど友だちには会っていない。俺を助けてくれるのはここの人たちだけだ。先生と知り合えたのは予想外だったけど」
と言った。
今まで黙っていた紀夫がそれを聞くと、
「これからはわしらも一緒やから大丈夫」
と威勢よく言ったが、すぐに、
「それは難しいと思います。連中は九旗家の人間の動きはマークしているはずだし変な動きをするとかえって危険かもしれません」
と昭彦に断られてしまった。
「ほんなら、どうしたらええんや」
と紀夫が聞くと、
「紀夫さんは大江でいつも通りに仕事して、暫くおとなしくしていてください。いずれお願いするときが来ますから。そのかわり竜太郎君をお借りしたいんですが、いいですか」
と言うと、血の気の多い紀夫は不服そうだったが、
「息子ならいつでもええ、こいつはちょっと外に出て鍛えた方がためんなる」
と応えた。
「で、状況はどんな具合なんや?」
と紀夫が聞くと、
「研究に関わっていそうな連中の住所、氏名は全部調べました。家族構成から出勤方法、趣味まで全て知っています。兄から聞いた名前から辿っていったんです。スタッフは8名で、中心となっているのは3名。その中のリーダーがキュウキと言う名前なんです」
「キュウキ?それ、うちらの身内やんか」
と紀夫が言うと、
「でも漢字が違うんです。久しい木と書いて久木なんです」
「そうか、ほな身内やないな、ちょっと安心した」
と紀夫が肩の力を抜くと、
「でも、少し気になることがあるんです。久木の出身は和歌山で、もしかしたら大江の九旗と関係があるのかもしれません。何かの都合で漢字だけ変えることがありますから」
と言った。
「よしわかった。そのことはわしが大江に帰って調べてみる。神社の古文書になんかあるかもわからん。それと家の古文書もしっかり読んでみる」
と紀夫が威勢よく言った。
「そんな昔のこと調べても何にもならへんやないか、肝心なんは達夫さんの居場所を調べることやろ」
と竜太郎がしびれを切らしたように言うと、
「あほ、相手はとてつもない連中なんや、とにかく今は辛抱してどんな小さなことでも相手に関係することを調べることや。仕掛けはそれからや、な、昭彦さん」
「ええ、でも急いだ方がいいと思います。兄の話では研究も完成に近づいているようだし、もしかすると、証拠を全て抹殺するということも考えられますから。それに連中は静恵が先生とともに旅館から消えてしまったことで警戒を強めていると思います。今頃は躍起になって静恵の行方と先生の身元を調べているはずです。見つかれば何らかの方法で消されることも十分あり得ることです。連中のやっている研究というのはクローン人間を作ることよりも人類にとって脅威となるかもしれません。」
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大江山伝説(5) [小説 < ブレインハッカー >]
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大江山伝説(5)
熱いお茶をすすりながら聞いていた潮見が訊いた。
「人類の脅威というのはどういうことですか。東京へ来るまでに静恵さんから聞いたのは、たしか、酒呑童子たちは相手の脳に侵入して思考や行動を思うがままにコントロールする能力があるということでしたがそのことですか」
「ええおそらくそれに近いことだと思います。私の家に伝わっている話では思考をコントロールすると言うよりもむしろ、感情をコントロールすると言った方が正確かもしれません。相手の脳に隙を作りその間になんらかのスイッチを入れるようなことをするそうです。
例えば憎悪に満ちて今にも自分を斬り殺そうとしている相手に対して、一瞬の隙さえ作ることが出来れば、満ち満ちた憎悪を跡形もなく消し去り、極端なことを言えば自分に対して愛情さえ抱かせることが出来たと言うことです。しかもそれは催眠術のようなものではなく、その感情そのものは本物だと言うことです。また逆に相手に憎悪と敵意を抱かしその気持ちを向ける相手を特定することも可能と聞きました。これらを一瞬の間にしかも言葉を介さず行うことが出来るのです。ただしこれは目と目が合わせられる範囲の人間に限られ、有効時間も短くて次の眠りまでの間だったようです」
「するとお兄さんもそんなことが出来たと言うことですか」
と潮見が驚いたような顔で聞いた。
「もしかしたら出来たのかもしれませんが、はっきりとは言いませんでした。でも不思議な力はありました。兄は中学生の頃からあの地域では有名な名医で、大抵の病気は兄にかかれば面白いように回復させることが出来ました。回復しない人もありましたがそれは兄よりも相手に原因がありました。中学生の兄を百パーセント信頼出来なかったんです。高校生になると次第に人が来なくなりました。直らなくなったんです。そのかわり兄の高校生活は充実し思い通りの生活を送っていました。少なくとも私にはそのように見えました。もしかしたらそのような力があって、今度は自分のために力を使っていたのかもしれません」
「出来たとしても、それはお兄さんの特殊な能力だから、研究したところで誰でも出来るようになるとは思えませんが、どうですか」
と潮見が訊いた。
「そこが私にもよく分からないんですが、でも代々受け継がれてきた修練によれば能力の違いはあってもある程度は身につけることが出来ますから、その秘密を解明すれば能力を開発したり、伸ばしたりすることは可能と思います。でもとにかく今は少しでも多く相手の情報を集めることです」
紀夫がしびれを切らしたように、
「奴らにかて弱点か何かあるやろ」
と言うと、昭彦は、
「ええ、一つあります」
と声を小さくして応えた。
「そらええこっちゃ、で、なんやその弱点は」
と嬉しそうに言った。
「奴らは兄と私のの居所を知らないことです」
昭彦の分かり切ったような答えを聞いて、
「それがどうして弱点なんや、こっちかて達夫さんの居所わからんのは同じやろ」
と紀夫はそんなことかというようながっかりした表情で言った。
「いや、これがうちらの切り札なんです。ジョーカーを持っていると思わせて奴らを慌てさせることが出来ると思います。奴らが必死に兄を捜すということは、そこに弱点があるからなんです。ただそれが何かは具体的には分かりませんが。」
「うーん………」
と紀夫は考え込んでしまった。
「お兄さんに会ったとき何か言わなかったの」
と静恵が聞いた。
「行方不明の米軍兵のことや、研究所のことは聞いたけど、証拠があるようなことは聞かなかった。ただ逃げろ、警察も何も信用するなとしつこく言っていたよ」
静恵も紀夫と同じように考え込んでいたが、
「もしかしたらお兄さん自身も、奴らが何を恐れているのか知らないのかもよ。でもきっと何かあるに違いないわ。奴らはお兄さんがそのことに気づく前に消そうとしているのよ。ねえ、本当にお兄さんの居場所分からないの」
と静恵は昭彦に咎めるように聞いた。
「本当に分からないんだ。ただ、今の日本で奴らの目から逃れる方法は浮浪して常に居所を変えるような生活しかないように思うよ。だから俺もこうしているんだけどね」
と昭彦が言うと、黙って聞いていた村木が口を開いた。
「私が仲間に聞いてみましょう。こんな生活でも長くやっているといろんな連中と知り合いになってね、それなりにネットワークがあって、行方不明者を捜すのはそれ程難しくはありませんよ。この世界のことだったら警察以上ですからね。実を言うとこれが結構お金になりましてね、新聞の尋ね人探しをするんです。この世界には訳ありな人も多いですからね。人間は秘密を誰かに言いたくてしょうがない生き物だから、この世界の人間同士だと話してしまうんですよ。自分のことを必死に捜してくれる人がいれば、どんな理由があったにせよ元の世界に戻った方がいいんです。金のためというより私は人助けのつもりですけどね」
昭彦は、
「そんな方法があったんですか」
と驚きと、そんなことが出来るならもっと早く言ってくれれば………と複雑な気持ちで言った。
「君が兄を捜していることは知っていたけど、実は少し気になることがあってあまり気乗りしなかったんだ。黙っていて悪かったけどね」
「気になることって何ですか」
と静恵が不安げに聞いた。
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大江山伝説(6) [小説 < ブレインハッカー >]
大江山伝説(6)
「最近若い浮浪者のよくない話を聞くことが多いんだよ。若い浮浪者はそれほど多くないし仲間内じゃ目立つからね。最近浅草からこっちへ流れてきた奴の話だと、ここ3ヶ月の間に仲間が5人死んだって言うんだ。みんな殺されたらしくて現場にいた犯人もすぐに捕り、警察はお粗末な捜査で仲間内の喧嘩ってことで一件落着なんだけど、そいつに言わせると絶対喧嘩じゃないって言うんだ。大体人殺しをするような奴はこの世界に入るよりも先に豚箱に入ってしまうからね。この世界に来る奴は世間様に牙の剥けないお人好しなんだから。だから喧嘩で殺しちまうなんて考えられないってね。
この世界で十年二十年平和に暮らしてきた男が突然逆上して、しかも思い当たるような理由もなく血の海になるような残虐な殺しをするはずが無いって言ってね。みんな顔見知りで相当なショックだったらしいよ。殺しのあった夜は必ずその若い男を現場で見たって言う奴が居るそうだ。若い奴は珍しいからみんなもよく覚えていて気味悪がっていると言う話なんだけどね。そいつに言わせると、その若い奴の周りは空気が違うって言うんだ。見た目は特に変な感じは無いんだけど、側に行くと急に鳥肌の立つような言いようのない不安と恐怖の入り交じった感覚に襲われると言うんだ。とにかくその若い男を見かけるようになってから悪いことばかり起こるって言ってね、それで、新宿に流れてきたということなんだよ。まぁ、噂ですけどね。犯人も捕まっているし、その若い男が何かしでかしたと言うことではないようですが、でもその怯えようは尋常ではなかったですね。一応念のため調べてみましょう」
村木はそう言ったものの、何か漠然とした不安を感じていた。静恵の直感は村木よりもさらに強い不安感を露わにしていたが、
「すみません、よろしくお願いします」
とだけ言うと頭を下げた。兄は見つけたいがその若い男は兄であって欲しくないような複雑な気持ちである。
繁華街の方から救急車のサイレンが聞こえてきた。珍しいことではないが、村木はその音に耳を傾けるようにしながら若い男に思いを巡らせた。同じように皆もその方向に顔を向けるようにして聞いた。何か静恵の不安感が伝染したように重苦しい雰囲気が充満した。
潮見のマンションに着いたのは午前一時を過ぎていた。紀夫はそのまま車で京都に向かい、和歌山のキュウキ姓について判ればすぐに連絡することを約束した。竜太郎と静恵は当面潮見の部屋に滞在し、昭彦は村木と一緒に浅草の男を調べることとなった。
潮見は留守電を再生しながら部屋をかたずけ始めた。二DKの部屋にそれぞれが寝られるようにするのは一仕事である。事務的な声で出版社からの連絡と、妻からは末っ子の小学校の行事に出席できるか連絡するようにとの催促が聞こえてきた。そして聞き慣れない声で、荻野源太郎さんからの紹介で相談に乗って欲しいとの連絡が入っていた。かれこれ一年程会っていない荻野の名前を聞いて急に懐かしくなり電話に手を伸ばした。無愛想な男だが何故か気が合い大学卒業後も時々あっては酒を飲む間柄である。その無愛想な男が自分に紹介したい若者が居るという話は潮見の好奇心をくすぐった。
電話をかけると、眠そうな声で源太郎が出て、話の一部始終を聞いた。
「大体話は分ったけど、で、その若い男は単刀直入にどんな男なんだ?」
源太郎は少し考えると、
「そうだね、会ってみれば判るけど、最近では珍しい憂いのある青年だね。まぁ、ちょっと危なっかしい感じもするけど、汚れのないいものを持っている感じがしたね。本当かどうかは俺には何とも言えないけど、少なくとも嘘は言ってないと思うよ。だからお前を紹介したんだよ。どうせ時間はあるんだろう、とりあえずうちの店で会うようにセットして飲むかね」
と、用件はそこそこで最後はすぐに飲む話になり、長話になってしまった。気がつくと静恵は奥の六畳で眠り、竜太郎はリビングのソファーでごうごうといびきをかいて眠っていた。大学は冬休みで明日は何の仕事も入っていない。潮見は書斎に入ると以前研究したシャーマンの資料を引っぱり出した。幻覚を見ることはシャーマンの世界では歓迎されることであり、それどころか神に近い者として大切にされることも多い。現代社会では精神的な問題があるとされ治療の対象者となる。潮見は三浦という青年の話はおそらく本当だろうと思った。以前知り合った東南アジアのシャーマンから同じような話を聞いたのを資料を見ながら思い出した。
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ブレインハッカー 第4章 体外離脱(1) [小説 < ブレインハッカー >]
第4章 体外離脱(1)
二日後の夜、Mでその青年と会った。一緒に来ている美人のピアニストが源太郎の姪と聞いて潮見は
「お前にこんな綺麗な姪子さんが居るとは知らなかったぞ、もっと状況を丁寧に話しておいてくれよ」
と驚いた様子だった。
由美が
「叔父がいつもお世話になっています」
と挨拶をすると、
「いや、お世話になっているのはこちらですから」
と言って笑うと、
「由美さんの御実家も源太郎と同じ和歌山ですか」
と訊いた。
「ええ、叔父も私も代々和歌山で、東京にいるのは私と叔父だけです。叔父が居なければ和歌山に帰っていたのですが、ここでピアノが弾けるのでしばらくは居るつもりです」
と応えた。和歌山は潮見にとっても興味深い地域で、民族学の研究のために何度も訪れたことがある。しばらくの間伸也は放ったらかしにされたままで、和歌山の話やら叔父との昔話で盛り上がっていた。源太郎が、
「ところで」
と伸也の話を始め、
「三浦君の経験したことは何だと思う」
と潮見に言った。
「まぁ、いわゆる体外離脱現象じゃないかなぁ、臨死体験としてはかなり研究されているけど三浦君のケースはかなり特殊な事例だろうね。いずれにしてもまだこの現象が脳内だけの出来事なのか現実なのか決着はついていないね」
と潮見は曖昧な言い方をしたが、続けて、
「しかし、三浦君が実際に入ったことのない部屋の様子を正確に描写できたというなら、それを説明するには今のところ体外離脱現象が一番適切だと思うよ。もちろんその部屋の様子を知ることが出来ないという条件は必要だし、その部屋だけの特徴的なことを描写できないと信用されないよ」
と言った。
源太郎は頷きながら聞き、
「二人の話を聞いている限りでは、体外離脱現象としか思えないんだが、しかしそんなことがいとも簡単に日常の中で起こってしまったことが俺にはどうも納得できなくてね。この話を聞いてから関係ありそうな本を片端から読み漁ってみたけど、一番信用出来そうなモンロー研究所の例ではかなりの訓練時間が必要で、そう誰にでも出来るということではなさそうだけど」
と、由美にはちょっと意外な話だった。
「体外離脱って何なの」
と由美が訊いた。
源太郎はちょっと考え込んでいたが、
「これは一口ではなかなか説明するのは難しいね。要は生命の本質は何かと言うことだと思うんだけど、つまり、臨死体験の話は聞いたことがあるだろう、死にかけた人がベッドに横たわる自分自身を病室の天井から見下ろしている自分を自覚するという話。生命は精神的な実在とでも言うのかなぁ、体はその精神的な実在の入れ物と言うことさ。たとえ体が消滅しても存在できるということじゃないかな」
源太郎は話してからもしきりに首を傾げていた。自分の言ったことに満足出来ない様子だった。由美も今ひとつ要領を得なかった。
「お前からうまく説明してくれよ」
と、源太郎は潮見に助けを求めた。
「科学的にきっちり説明することは不可能だね、ただ事例がたくさん報告されていることは事実だよ。その説明が出来るのは宗教とかの世界だろうね、瞑想でも同じようなことが言われているけどね、深層心理学者のユングが若い頃に体外離脱の経験をして、そのことがユングの生涯と学問に大きく影響していることは有名だけど。アメリカでの調査で国民の約三十パーセントの人が体外離脱の経験があるとの報告があるそうだ。空を飛ぶ夢を見るのものも体外離脱と関係があると言われている」
と、素っ気ない答えが返ってきた。
「伸也君分かった?」
と由美が伸也の顔をのぞき込むようにして訊いた。
「生命の本質とか、精神的実在というのは難しすぎるけど、体外離脱というのは何となくぴったりくる感じがするよ。自分では幻覚じゃないと思っていたし、自分がそこにいるという感覚はすごくリアルだったから、自分自身が体を離れて存在するというのは感覚的にはよく分かるよ。ただ自分の中で何が起きたのか説明しろと言われても困るんだ。本当に自分でもよく分からないと言うのが正直なところだよ。だだ一つ気になるのは、由美の部屋へ行ったときは自分の意志だったけど、たいていの場合は自分の意志ではないような気がすることなんだ。自分の中にあるもう一つの意識が働いているような……………潮見先生、こういう感じって体外離脱にあるものなんですか」
と伸也は一番気になっていることを訊いた。
潮見は腕組みをしてしばらく考えていたが、
「そうだね、世界で最も有名な体外離脱経験者と言われるモンロー氏も訳が分からなかったそうだ。突然体から自分が抜け出してしまうものだから、このまま死んでしまうのではないかという恐怖感があったようだね。もう一つの意識という感じではなかったように思うよ。慣れると移動先をコントロールできるようになったというのは三浦君と同じだね。
西洋ではモンロー氏が有名だけど、シャーマンの世界では珍しいことではないんだ。シャーマンというのは呪術師のことなんだけど、ときには悪霊を追い払ったり、病気を治したりもするし、祖先の霊にあって話しをするなんてこともするそうだ。すべてのシャーマンが有能で真実とは思わないけど、私が十年前に会ったインドネシアのシャーマンはなかなかの実力の持ち主だったね。三浦君のように自在にどこへでも行くことが出来ると言っていた。試しに東京の私の部屋を見るように言うと次の日には詳しく話してくれたよ。部屋の間取りは勿論のこと、壁に掛けてある椰子の実で作った装飾品まで当てられたよ。椰子の実は彼にも身近な物で印象に残ったそうだ。
もう一つ驚いたのは部屋の中は腐った臭いがして耐えられなかったと言っていたことだね。日本に帰ってみると、出発するとき捨て忘れた生ゴミが凄いことになっていてしばらく臭いが消えなかったよ。だから三浦君が部屋の香りを感じたというのもあると思うよ。でもそのシャーマンももう一つの意識というようなことは言わなかったね。すべて自分の意志で行うことだと。いろんな意識体に会うことはあるそうだがね、それは時間とか空間に関係なくて、つまり祖先の意識に出会うこともあったそうだ。これは確認のしようがないけどね。ほかにも何人かのシャーマンに出会ったけど、実は体外離脱というのは、誰にいつ起こっても不思議ではないことだと思ったね。もちろんある程度の訓練は必要で、シャーマンも部族に伝わる秘術というようなものがあってそれなりの努力はしているようだがね。三浦君に起こったことはもう少し研究するとおもしろいと思うよ。私の感触では決して精神的な疾患ではないと思うね」
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ブレインハッカー 第5章 アポトーシス(1) [小説 < ブレインハッカー >]
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第5章 アポトーシス(1)
九旗昭彦と村木潤三は、次の日浅草までその男を捜しに行き。三日間あちこちで寝泊まりしながら探し回った。若い奴を見たことがあるという話しは聞いたが何処にいるかは誰も知らなかった。繁華街から少し離れたところに目立たない小さな公園があり、数人の年老いた浮浪者がたむろしていた。どの浮浪者も何枚も重ね着をして体を動かすのも大儀そうにしている。昭彦達も彼らと似たり寄ったりの格好で近づくと、
「おやっさん、今日は暖かくてまぁいいね、浅草はどうだい、今日新宿から来てみたけど食えるかい」
と聞いた。七十代には見えるその男は、透き通るような青空を見上げながら
「善いも悪いもねえよ、わしらはずっとここだからなぁ。今日も生きてるからまあ食えねってことはねぇよ。酒あるかい」
と人なつっこい笑顔で言った。村木はポケットからワンカップを出すと老人に握らせた。「あんたいい人だねえ、酒は命とおんなじだ。それをわしに飲ませてくれんのかい」
と言いながらもう手はカップの蓋を開けかけていた。それを見ていた何人かの仲間が数人集まってきた。
「ここらじゃ見かけない顔だなぁ」
とその中の一人が言うと、村木は、
「こいつより二つ三つ年かさの男を知らないかなぁ」
と昭彦を指さして言った。ワンカップを飲みかけた男が、
「あんたぐらいの男なら、見かけないことはないけどどっちの男かね、気味の悪い方か、色白の方か」
と聞いた。色白と聞いて兄の達夫に違いないと思った。昭彦は、
「色白の方です」
と反射的に応えた。
「色白で良かったねぇ、気味の悪い奴のことなんか話したくもなかったよ。あの色白なら毎朝川っ淵に立ってるよ。この寒いのに何してんのかってみんなが不思議がってるね。何を見てるんだねって話しかけると、好きなんです。川の側で育ちましたからって、あいつは根っからの善人だね。儂らみたいな半端もんと違うね。あんたは知り合いかい」
と優しそうな目をして聞いた。昭彦は、
「ええまぁ」と応え、
「いまどこにいるか分かりますか」
と訊くと、
「わかんねえなぁ」
と、すまなそうに笑った。その笑顔が人懐っこく妙に心地よかった。
駅のシャッターの前で夜を明かした二人は始発電車の出る前に駅を出た。まだ暗く人通りは殆ど無い。時折トラックが信号をもの凄いスピードで通過して行く。兄は今日も川辺に立っているだろうか。
兄と最後に会ったのは去年の2月、今日のように寒い朝だった。突然やってきた兄に起こされたのだ。転がるように部屋の中に入ると、
「逃げてきた」
とだけ言うとそのまま横になり死んだように二時間ほど眠り込んだ。事情を聞こうとしても、
「すまん、寝かしてくれ」
と言うのが精一杯の兄を起こすことは出来なかった。目覚めた兄の話すことは、誰が聞いてもとても信じられるようなことでは無かった。兄は気が変になったのだと思い、何とか落ち着かせようとしたが、かえって、
「落ち着いて聞け」
と昭彦がたしなめられる始末だった。
兄が研究に協力していてことは知っていたが、米軍基地内の施設へ行き始めてからは連絡が途絶えて状況は分からなかった。
「奴らの研究は人の脳を操る研究で完成目前の段階まで来ている。俺はジュリアという研究員のおかげで逃げ出すことが出来たが、奴らはこの日本で出来ないことは何にも無い。奴らが欲しいと言えば人の命だって手に入れることが出来る。ベトナム戦争の行方不明者が何人も実験で殺された。俺も捕まれば利用されるか殺されるかだ。此処も危ない。たぶん俺の行きそうなところは手が廻るだろう。ひとまず京都へ帰ってみるが、もう一度東京に戻って決着をつける。浅草で浮浪者を探してくれ。お前も此処を出て様子を見た方がいい」
そう言い残すと慌てるように部屋を出ていった。
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アポトーシス(2) [小説 < ブレインハッカー >]
ニンテンドーDS Lite ジェットブラック
任天堂
アポトーシス(2)
川に沿って沢山の小屋が並んでいる。小屋と言っても段ボールにシートを掛けただけの簡単な物から鉄パイプで骨組みを組んだ相当しっかりした物まで様々である。橋の上をトラックが走っていくのと、その下を船がゆっくりと動いていくのが見えるだけでそのほかには動く物は見えない。街路灯の光と橋を照らすライトがその周囲だけを浮かび上がらせるように際立ち、遠ざかると光は霧の中に吸い込まれやがてその力を失っていく。
二人は身体を丸め寒さを防ぎながら次の橋まで歩いた。遠くから見れば人生の悲哀を感ぜずにはいられない姿であったが、二人の眼光は鋭く周囲を睨んでいた。近くをすれ違う人がいれば、きっと身構えたに違いない。二つ目の橋に来た頃には白々と明るくなり、かなり遠くまで見通せるようになってきた。もっと先まで行くか戻ろうかと立ち止まり振り返ったとき、すぐ後ろに兄を見つけた。あっと声を出しそうになったが、兄はついて来いと言うように背中を見せて歩き始めた。二つ年上の兄の背中は懐かしく頼りがいがあった。しばらく黙ってついて行くと鉄パイプにシートを被せた粗末な作りの小屋があり、その中に入っていった。
「見た目はひどいが入ってみるとなかなかいいだろ。様子を聞かせてくれ」
と兄の達夫は嬉しそうに言った。昭彦は潮見のことや、静恵達のこと、浅草の噂のことを手短に話すと、兄のその後の行動を訊いた。
「お前の部屋を出てからとにかくすぐ新幹線に飛び乗ったよ。でも大江の駅にはさすがに奴らの手先がいたね。俺は何も気づかずに連中に取り囲まれてぼこぼこさ。気を失ったまま車に連れ込まれて、気がついたら福知山インターチェンジに入るところだった。ところが対向車がセンターラインをオーバーして正面衝突さ。相手の車は大破したけどこちらは頑丈な外車だったから、衝撃はかなりだったけどかすり傷程度で済んでね、その隙に逃げて家までたどり着いたけど誰にも会えなかった。
親父には会いたかったけど、奴らいつまでも待ってくれないからね。どうしても必要な物があったからそれだけ持つと猛の古いホンダGL500を無断で借りてこっちへ戻って来たって訳さ。お前の部屋の様子を見に行ったが二十四時間見張られていたよ。奴らは一年だって見張り続けるさ。そういう連中なんだよ。部屋にお前の居る気配はなかったから、逃げたと分かったよ。連絡方法ぐらい決めておけば良かったけど、でもあのときは何も信用できなかったんだ。お前だって巧妙な連中に騙されるってこともあり得ると思ったからね、悪いけど。
でも昭彦は俺が思った以上だったよ。自分が鬼の子孫だって言いふらしてるのも知ってたよ。俺へのサインだってことは分かったけど、連中にだってその内知られてしまうし、不用意に会ったりすると命取りにもなりかねないからね。浅草の事件はいずれ昭彦も聞いて必ず来ると思っていたよ。情報を流したのは俺だけどね。新宿のような雑多な町は奴らが見えないけど、浅草はわかりやすいところだから奴らの動きはすぐバレちまうんだ。今のところ大丈夫のようだけど、新宿は気をつけた方がいいね。奴らもそれ程馬鹿じゃないよ。お前が研究所を嗅ぎ廻っていることは奴らも気づいているみたいだから、かなり警戒は厳重になっているようだな」
そう言うと何事もなかったかのようにポケットからコンビニのおにぎりを取り出して食べ始め、
「これからのことだが」
と研究所のことや連中の計画のことを話した。
「俺が知らされた研究目的は特殊精神医学に関わる研究で、生死に関るような戦闘状態での心理と行動と身体の関係についての基礎データの収集ということだった。この分野の研究では一応の成果があって、どのような状況にあっても冷静で正確な判断と行動が出来るための訓練プログラムも開発されているようなんだ。
アメリカが七十年代にCIAを使って極秘プロジェクトをスタートさせ、遠隔透視(リモートビューイング、略してRV)の研究を進めたというのは聞いたことがあるだろう。後に米陸軍が研究を引き継いで、一定の成果を得た後、大学の研究機関で現在も行われているということだ。
俺の協力した研究はいわゆるRVの進化型とでもいえばいいのかなぁ、ビジョンを見るだけじゃなくて、他人の思考と感情と身体をコントロールする研究なんだ。オカルトの世界では呪術なんてのがこれに当たるかもしれないね。今までにもこのような能力の優れたカリスマ的天才はいたし、現在でも少なからず居るだろう。なんとか教の教祖なんてのもそうかもしれないね。催眠術もこの一種だと思うし、日本は以心伝心の文化で、言葉ではなく解り合えることを大切に考えてきた精神的土壌もあるからね。ある意味では誰しも日常的に行っていることなんだよ。
ただこの研究が大きく違うところは、通常のコミュニケーション手段を使わずに行うということなんだ。見ず知らずの他人の思考と感情と身体に離れたところから影響を与えることなんだ。ある意味でこれは世界平和のための切り札となるかもしれないし、少数の支配者の独善を許す悪魔の杖となるかもしれない。
俺も最初はこの研究が成功すれば、例えば凶悪な殺人者から人命を救うことが出来るかもしれないと考えたし、その為に研究に協力したつもりだったんだ。奴らは俺の家系がそのような能力を育て今に伝えてきていることを古文書から知っていたし、現に地域では難病を治す治療者として有名なことも知っていたからね。まぁ、被験者としてはこれ以上の人材はいないだろうね。他にも数人の協力者が居たけど俺の出すデータは群を抜いていたね。いわゆる超能力者に顕著と言われる十ヘルツ近くの脳周波数レベルが異常に高いのが特徴だって言ってたね」
達夫はそこまで話すと、一息つくようにペットボトルの水を美味しそうに飲んだ。
昭彦は、
「それがどうしてこんなことになったんだ」
と訊いた。
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アポトーシス(4) [小説 < ブレインハッカー >]

「俺の能力は一つの実験が成功する度に飛躍的に成長していたんだ。自分でもよく分かったよ。一週間目に柴犬が連れて来られ、俺との間には衝立が置かれて見えないようになっていたんだ。指示されたように集中して一分程経つと衝立の向こうから苦しそうな息づかいが聞こえて、その内爪で床を掻くような音がすると静かになった。俺は全身の筋肉が堅く冷たくなったような気がした。係の男が心停止と言うのが聞こえ、三分経過と言う声が聞こえると、側にいた男に早く生き返らせろと言われ、もう一度イメージにエネルギーを吹き込むようにしたんだ。暫くすると柴犬の荒い呼吸が聞こえ、俺の身体に体温が戻って熱くなった。気がつくと身体ががたがた震えて暫く止まらなかったよ」
「それから人間を?」
と小さな声で訊いた。
「そうだ」
と達夫は応えると、暫く考えてから話し始めた。
「次の日に、これが最後の実験だ、と言われて壁を隔てた隣の部屋に集中し始めたんだ。途中から動物じゃないと感じて止めたけど、もう遅かった。部屋の中に係の男が入ってきて、お前の力は完璧だと言われたよ。俺にはその意味がよく分かったから、もう一度蘇るように試みたけど何故か手応えは無かった。筋肉が堅く冷たくなったまま震えていたよ。奴らは蘇生させることに興味は無く、そのまま終わらされてしまったんだ。そのときは相手が誰か年齢も性別も分からなかったけど、とにかく自分の部屋へ戻されてからも蘇るように気持ちを集中したよ。ただ闇雲にね。手応えははっきりしなかった。でもちゃんと届いていたんだ、細胞にね」
昭彦にはその意味がよく分からなかった。
「そう、細胞だったんだ。精神的なエネルギーに対して最も敏感に反応するのは細胞の集合体ではなくて、細胞の一つ一つの生命なんだ。後からジュリアに聞いた話では、解剖検査されるだけのその男は完全に心肺機能は停止状態で酸素の供給は完全にストップしていたんだ。でもいつまで経っても脳波がフラットにならなかったんだ。それどころか一部の脳波はだんだん強くなってきたと言うんだ。通常の生体反応や反射は消失しているというのに脳の一部が活発に活動していたんだ。あり得ないことが起こってしまったんだ。
と昭彦は、兄はやはりどこかおかしくなっているのではないかと思い始めていた。
「夢なんかじゃない。夢で人間の身体がどろどろに熔けたりはしないよ。ジュリアは細胞と同じ経験をさせられたんだ。細胞の死に立ち会いそして、メッセージを受け取ったんだ。
アポトーシス(5) [小説 < ブレインハッカー >]
アポトーシス(5)
達夫は話しながらもどかしさを感じていた。自分が知った真実を伝えようと思えば思う程言葉は空回りをしているように感じた。
「細胞の死の経験とか、細胞の意志って言うのはよく理解できないけど、その熔けた男とか、ジュリアはどうしたの、それに兄貴はそこからどうやって逃げてきたの」
「とにかくジュリアは細胞が熔けて死んでゆく経験をしたし、メッセージというのは言葉じゃなくて一瞬のイメージで伝わるんだ。だから分かるんだけど言葉ではうまく表現できないんだ。熔けた男の細胞は死にゆく脳細胞に共鳴したんだと思う。全ての細胞はお互いに感じ合うことが出来るんだ。これ以上上手くは言えないけど、でも事実なんだ。ジュリアは自分が協力していた研究の意味が分かり、それで俺を車のトランクに詰め込んで連れだしてくれたんだ。今はジュリアも俺と一緒に追われる身だよ」
「ジュリアもここに?」
と驚いたように昭彦が聞くと、
「ああ、東京で一旦分かれたがジュリアも危なくなったんだ。もうすぐ戻ってくるよ。お腹が減ったろう」
と笑顔を見せた。
室内は明るくなった外の光が青いシートを通して入り、青い光線が室内を別世界の様に見せている。昭彦と村木と達夫はまるで宇宙空間に浮かんでいる異星人のようだ。
達夫は簡易コンロに火をつけるとお湯を沸かし始めた。青い炎が一層青く輝き、その光を見つめる達夫の横顔はピカソの<青の時代>を思い起こさせた。ピカソはあの時代に殆ど青以外の色を使わずに描いた。貧しく苦しい時代でもあったが、その青い色は人間のあらゆるエネルギーを吸収し封じ込めた色なのである。昭彦はこの青い光の中に兄の恐ろしいエネルギーの存在を肌に感じた。青い色は人間の未知の力を露わにしてしまう力もあるというのだろうか。九旗家に伝わる石も青く光る石だったことを思い出した。
暫くするとジュリアが大きなコンビニの袋をぶら下げて帰り、明るい声で、
「おはよう」
と声を掛け、みんなの前に手際よくおにぎりやら漬け物を並べた。
「昭彦さんですね、お兄さんとよく似ているわ。私のせいでこんな目に遭わせて本当に申し訳ありませんでした。私もまさかこんなことになるとは夢にも思っていなかったんです」 と丁寧に頭を下げて謝った。昭彦はこんな間近でジュリアを見るのは初めてだった。兄と連絡が取れなくなってから、尾行したりマンションのゴミを漁ったこともあったが、そのときも出来るだけ正面からは顔を合わさないように注意をしていたからだ。三十を少し過ぎた年齢だが、五~六歳は若く見える。ハーフということは知っていたが、ブロンドの髪を除けば、日本人に近い顔立ちである。やや細身で知的な美人だが、瞳の奥には強い意志を感じさせる光を宿している。
「まさか兄と一緒だとは思いませんでした。でもどうしてなんですか、帰国すればこんなことに巻き込まれずに済んだでしょう」
と訝しげに聞いた。
「ええ、確かに帰国すれば今頃は暖かいベッドの上で熱いコーヒーを飲んでいられたかも知れないわ。でもそれじゃ私の気が済まないのよ。私の研究がとんでもない方向に行くのを黙って見ている訳にはいかないわ。これは私の意志と言うより細胞の意志なの」
ジュリアはきっぱりと言い切った。
昭彦には細胞の意志とか意識ということがやはり理解できなかった。
「兄も細胞の意識と言っていましたが、仮に細胞に意識があるとしても、普通はそれを人の意識とか意志というのではないんですか?」
と訊いた。
ジュリアは頷きながら聞き、
「確かに昭彦さんの言うことは間違ってはいないわ、その通りよ。でも真実を知りたければその奥にある物を見なくては駄目なのよ。人が自分の意識だって思えるのは、自分が経験や学習を通して作り上げた脳神経のネットワーク上に浮かび上がってきたものだけなのよ。細胞はもっともっと物知りで知的なの。宇宙の歴史だって塵一つ漏らさず知っているのよ。そして全ての細胞はお互いを感じ合うことが出来るの」
「じゃあ、俺よりアメーバーの方が知的で賢いとでも言うの?」
「話すことが出来ればね、きっと饒舌で愉快かも知れないわよ」
とジュリアは達夫を見て困ったように笑った。
「信じられないと思うけど、ただ俺とジュリアの身に起きたことは事実で、奴らがこのまま研究を続ければ人類が破滅するかも知れないし、俺達も消されてしまうかも知れないと言うことだ」
昭彦は、
「人類の破滅?」
と確かめるように訊いた。ここまで話しが大きくなると理解の範疇を越えている。達夫は昭彦の疑問が手に取るように分かる。こんな話しの信じられる人間は何処にもいないと思うし、自分だって信じられない気持ちなのだ。だが事実を知った者には責任がある。達夫は気持ちを奮い立たせるように話した。
「細胞というのはイメージの影響を受けやすくとても正直で脆い生き物なんだ。だから俺のような人間が、研ぎ澄まされたあるイメージを伝えると真っ正直に活動を止めて自殺してしまうんだ。細胞の自殺は次々に周りの細胞に情報を伝え連鎖し、それが個体の中だけに留まればいいけど、個体間を越えて連鎖すると誰にも止められなくなることもあるんだ。細胞がジュリアに伝えたメッセージというのはこのことなんだ。これは俺にもよく分かるんだ。まるで細胞が核分裂反応を起こすみたいに、次から次へと連鎖が陵原の火のように広がりとてつもないエネルギーに膨れ上がってしまうんだ。そうすると地上からあらゆる生命体が姿を消してしまうような可能性だってあるんだ」
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