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プロローグ(一) [小説<十九歳の呪い>]

 プロローグ

 荻野明彦は今年で五十歳になる。妻の妙子と娘の陽子は親戚に出かけてまだ帰らず、一人で寂しい夕食を済ませた。息子の健二は去年から京都で下宿生活を始め、娘の陽子も今年から大阪で暮らし始めている。夫婦二人だけの生活が始まったのだ。三月とはいえ夜になると冷え込んでくる。荻野明彦は、早めに入浴を済ませて後はビールでも飲んで過ごそうと思った。
 この家の歴史は古く、築二百年くらいになる。家の前には広いスペースがあって、車なら数台を駐車することができる。裏へ廻ると十メートルほどの高さの斜面が岩肌を露出して迫り、その崖下には山から湧き出る水で小さな池を造り、家畜小屋に納屋、風呂場などが建てられている。岩肌の端の方には奥行き数メートルほどのほら穴があり、荻野家では横井戸と呼び、昔は食物の保存などに使っていた。
 家の中は改装して近代的になっているが、風呂は別棟のまま残してある。風呂に行くには、裏口から少し外に出て歩き、そのときにどうしても橫井戸の前を通ることになる。
 荻野明彦は普段なら何とも思わずにその前を通るが、今日は何か嫌な感じがした。家族が橫井戸を嫌がるのはこういう感じなのかと思いながら、風呂場の扉を開けて中に入った。先ほどの嫌な感じというのがまだ残っていて、五右衛門風呂に身を沈めても気持ちが落ち着かない。気味の悪い橫井戸を埋めるよう依頼したのは間違っていないと思った。土木業者は橫井戸の前に目隠しを施し、明日から作業にかかると言って帰った。橫井戸については、親から悪い話を色々聞かされたが、ほとんどは迷信のように思えることばかりだった。荻野家にとっては何の役にも立たず、悪い言い伝えだけが残ってきたのだ。荻野明彦は、橫井戸を埋めてしまうことで、そんな言い伝えも綺麗さっぱり消えてなくなると思ったし、荻野家の為にもそれでいいと思った。
 彼には、その言い伝えの中で忘れられないことがあった。若い頃で、兄が死んだときに聞いた話だ。それは、橫井戸にまつわる出来事のせいで、代々荻野家の長男は二十歳を迎えることなく不慮の死を遂げているという話だった。当時は、そんなバカなことはあり得ないと思うのと同時に、もし本当ならどうして兄を守らず十九歳で死なせてしまったのかと、親を本気で憎んだ。親は、荻野家はあの橫井戸のせいで長男が立たないと言って嘆いた。それなら埋めてしまえと言ったが、そんな事をすると酷い災いが降りかかるからと言って何もしなかった。


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プロローグ(二) [小説<十九歳の呪い>]

                    プロローグ その2

 弟の自分が荻野家を継ぎ、子どもの健二も陽子も元気に育って二人とも大学生になった。長男の健二は子どもの頃からスポーツが得意で体格も良い。今年の夏を過ぎれば二十歳になるが、昔聞いた話を思い出すと時々不安になる。荻野家の言い伝えを話して聞かせようと思ったこともあった。本人に気をつけさせる為だ。しかし、そんな根拠のない話をしても不安にさせるだけだし、わざわざ不愉快な伝承を伝える必要もない。今の時代にそんな事はあり得ないと思う。暗く湿気の多い橫井戸は、カマドウマにムカデ、ゲジゲジなどの昆虫の棲み家になり、時々母屋に入り込んで大騒ぎになることがある。病原菌の温床にもなるだろうし、放置して良いことは一つもない。
 荻野明彦は、何も知らせないまま橫井戸を葬ることが自分に課せられた責任だし、子をに対する親の責任だと考えた。そうすることで不愉快な伝承を断ち切り、子どもを守ることが出来ると思った。
 荻野明彦は五右衛門風呂に身を沈めながら思いを巡らせた。自分が決断したことは何度も考えた挙げ句の結論だったが、正しいかどうかは今も自信がない。もし、、伝承が本当だとしたら恐ろしい災いを被ることになる。しかし、これ以上は幾ら考えても堂々めぐりになるだけだ。
 彼は我に返ったように浴槽の周囲を見回した。長湯をしたせいか、額から大粒の汗が吹き出ている。右肩に妙な感触が伝わった。彼は反射的に視線を向けると、肩の上に大きなカマドウマを見つけ、慌てて手で払いのけた。浴槽に落ちたカマドウマが長い足をばたつかせた。飛び跳ねるように浴槽を出ると、足元にも数匹のカマドウマが入り込んでいる。脱衣所への引き戸にも何匹かのカマドウマが取り付いている。
 彼は洗面器にお湯を入れ、勢いよく引き戸にかけてカマドウマを落とし、排水溝に流れたことを確認した。いったいどこから侵入したのかと見回したが、窓はきちんと閉じてある。天井を見上げるとそこには無数のカマドウマが取り付き、今にも頭上に落ちてきそうだ。彼は悲鳴をあげながら引き戸を開けて脱衣所を見ると、そこには足の踏み場もないほどのカマドウマの大群とムカデがいた。脱衣所から飛び出した荻野明彦は、裸のまま転倒し腰を強打して起き上がれない。地面が見えないほどのムカデとカマドウマに取り囲まれ、噛み付いたムカデが身体からぶら下がっている。半狂乱になった彼は、両手の力で母屋に戻ろうと動き始めたが、その指先にもムカデが噛み付き思うように動けない。ようやく横井戸の前に辿り着き、母屋の入り口は目の前に見えている。後もう少しと思ったとき、呼吸が苦しくなり、意識が薄れていった。彼の前には横井戸が黒々とした口を開けている。
 翌日、横井戸の前で全裸で横たわる荻野明彦の遺体が発見された。顔が異常に腫れ上がり、妻の妙子にもしばらく誰かわからなかった。


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第一章(一) [小説<十九歳の呪い>]

 第一章 (一)

 京都駅の奥まったところに山陰線があり、荻野健二は重い足取りでホームに向かった。彼は薄暗い山陰線ホームに辿り着くと、特急列車と鈍行列車を見比べた。先ほどまで目にしてきた華やかな風景が頭の隅に追いやられ、暗くて長いトンネルが思い浮かんでくる。故郷の綾部に辿り着くまでに幾つものトンネルを抜けていくからだ。子どもの頃、鈍行列車に揺られながら幾つトンネルがあるのか数えたことがある。いつも二十を超えた辺りで面倒臭くなり、今でも幾つあるのかわからない。山間を縫うように敷設された山陰線の特徴でもあり、鉄道ファンが虜になる理由の一つでもある。
 子どもの頃は両親と兄妹二人に、祖母もまだ元気で賑やかな家だったし、母親も元気で快活だった。今は広い家に母親が一人で住んでいる。中学生の時に祖母が亡くなり、親父の明彦は今年の三月に亡くなった。そして妹の陽子が大阪で暮らし始めたからだ。
 特急で帰れば一時間ほどで着くが、そんな気にはならず、鈍行に乗ることにした。途中で乗り換えもあり面倒だが、何かがあの家に帰ることを拒んでいるのかも知れない。それでも帰ろうと決めたのは、お袋の様子がいつもと違っていたからだ。まるで俺の命に関わるような口振りだった。それは今に始まったことではなく、親父が亡くなってからだが、今までと違う違和感を感じた。その違和感の理由ははっきりしないが、お袋に今までと違う何かの異変が起きていることは確かなように思えた。俺は念のため、妹の陽子に電話をかけ母の様子を訊いた。陽子はしばらく黙っていたが、私にはそんな話は一つもしなかったと不満げに言った。
 陽子も母親を嫌っているわけではないが、俺とは反対の理由で避けるようになっていた。同じ兄弟なのに、俺のこととなると異常なほど心配するのに、陽子のことはまるで他人事のように興味を示さないからだ。陽子の怠そうな声は、明日の昼過ぎには帰ると言って電話を切った。俺と陽子は仲のよい兄妹だが、間に母親が絡むと途端に気まずくなってしまう。   
 やがて発車のベルが鳴り、ゆっくりと車両が動き始めた。この列車が綾部までの最終で、途中の園部で乗り換えをする。席は半分以上空席で、俺はボックス席を一人で占有している。足を投げ出して眠っている人や、缶ビールを飲みながら暗い車窓を眺めている人もいる。遠くの席から賑やかな話し声が聞こえ、懐かしい丹波篠山地方の方言が混じっている。
 俺は車窓に映る自分の顔を眺めた。確かに一年前と比べると顔はほっそりしてきたし、体重は五キロ程度落ちている。だけどそれは、慣れない一人暮らしとバイトのせいで、母親の言うようなことが原因ではない。だけどどう説明しても納得しない。お袋はもう病気としか思えなかった。


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第一章(二) [小説<十九歳の呪い>]

             第一章(二) 

 綾部駅に着いたのは零時近くになり、駅前には数台のタクシーが寂しげに駐まっている。昼間の熱が冷めないまま、盆地特有の不快感となって俺の身体に纏わり付いてくる。俺はタクシーに乗り込み行き先を告げると、シートにもたれて額の汗を拭いた。年老いた運転手は慣れたハンドルさばきで商店街を抜け、信号のない一本道へと進んだ。対向車はほとんどなく、暗い道が続く。
「もうすぐお盆ですなぁ。学生さんですかぁ」
 運転手が話しかけてきたが、余り話す気にもならず、返事だけをして遠くの灯りを眺めた。
 やがて家の前にタクシーが止まり、
「お嬢ちゃん、着物がよう似合いますなぁ」
 と運転手は釣り銭を用意しながら言った。
「え? 子どもなんていませんよ」
 俺は人の良さそうな運転手に言った。
「このお宅の前は何遍も通りましたけど、何度か見ましたよ、玄関にちょこんと座ってねぇ、可愛くてスピード緩めたくらいですわ。ほな、おおきに」
 運転手はそう言って釣り銭を渡し、俺は首を捻りながら車を降りた。
 玄関には、灯りが点けてあり、その光が玄関前の植木やら、お袋が大切に育てている花々を照らし出している。
「帰ったよ」
 俺は玄関から奥に向かって声をかけた。
「おかえり、疲れたやろ」
 そう言ってお袋がリビングの戸を開けて顔を見せた。部屋に入ると刺身がテーブルに置いてあり、早く食べるように急かした。
「こんなに食べられへん、さっき京都駅で食べたばっかしや」
「若いもんが、このくらい食べられんでどうするんや、早う食べ」
 お袋は不服そうに言うと、台所へお茶を入れに行った。父親が死んでからというもの、お袋は過剰なくらいに俺の世話を焼くようになった。毎日のように電話をかけ、俺が留守でも部屋にやって来て掃除をして帰ることもある。友だちに話すと羨ましいと言って笑われるが、俺はいい加減うんざりしている。刺身だって俺はそれほど好きではない。だけどお袋にすればこれが一番のご馳走のようだ。
「タクシーの運転手がな、うちの玄関で着物姿の可愛い女の子を見たらしいけど、誰か来た?」
「だれも来とらん、見間違いや」
 お袋が台所から大きな声で言った。
「運転手は何度も見たって」
「嘘や、気にせんでええ。そんなこと言うから近所で噂になるんや」
 お袋は不機嫌そうに言った。
「噂って?」
「なんでもない、全部嘘や」
 お袋はそう言うとお茶を出し、全部食べ終えるのを見届けるように、俺の正面に座った。俺は噂のことを聞きたいと思ったが、今夜は疲れたし、お袋の態度はこれ以上何も聞き出せないと思い刺身に箸を付けた。


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第一章(三) [小説<十九歳の呪い>]

          第一章(三)

「明日、陽子も帰るって言ってた」
「何で陽子まで帰ってくるんや」
「俺が電話した。お袋ちょっと変やったからな、あんまり子どもに心配させたらあかんやろ」
「うちはなんにも変やない。健二のこと心配しとるだけや」
「それや、それが変なんや。俺はもう大学二年生で、もうすぐ二十歳や。それやのに、危ないことしたらあかん、車の運転はあかん、海で泳いでもあかん。なんやそれは、俺は幼稚園児か」
 俺は刺身をほおばりながら言った。
「健二が大学生なことくらいわかっとる。そんでも、注意せなあかんのや」
「俺みたいな大学生どこにもおらん、みんな好きにしとる」
「うちはなぁ、健二が死ぬんやないかと、それだけが心配なんや」
 今夜はこの話は止めようと思っていたが、結局電話と同じ話になってしまった。もうこれ以上何を話しても水掛け論になってしまう。
「一つだけ言う。俺は絶対死なへん。身体も心も丈夫やし、危ないことはせえへん。これだけ言うても信用できへんの?」
 俺はお袋を睨み付けるように言った。お袋はしばらく黙って俯いていたが、ゆっくり顔を上げると、その目には涙を一杯浮かべていた。
「うちかて、健二に嫌がられてまで言いとうない。そやけどなぁ、ほんまに心配なんや」
 お袋はそう言ってまた泣いた。もうこれは普通の精神状態ではない。心療内科に行けば何かしらの診断名が付くに違いない。明日は陽子にも協力してもらってお袋を病院に連れて行くしかないだろう。とにかく専門家のカウンセリングが必要だろうと思う。
「わかったからもう泣くなよ」
「そんなら明日一緒に行ってくれるか?」
「あした?」
「そうや、明日や。もう連絡してあるし、ええやろ?」
 お袋は涙を拭きながら言った。祈祷師の話は聞いていたが、まさかここまで段取りがしてあるとは思わなかった。俺が諦めて小さな声でいいよと返事をすると、お袋は顔を輝かせて喜んだ。まんまとお袋の涙に騙されたのかも知れないが、取り敢えずお袋の納得するようにさせるしか方法はないようだ。病院は後から陽子に協力して貰って行かせるしか無いだろう。
 どうやら俺はお袋の思う壺にはまり、祈祷師の所へ行かされる羽目になったようだ。お袋に言わせれば、祈祷師に拝んで貰えば俺の命が助かるらしい。俺には何のことだか皆目わからない。こんな酷いインチキはない。振り込め詐欺と同じだ。一人暮らしの母親を不安にさせて大金を巻き上げようというのだろう。明日は祈祷師の化けの皮を剥いでやる。そうすればお袋も目が覚めるかも知れない。
 お袋は、お風呂の用意が出来ていることと、ビールが冷蔵庫に冷やしてあることを伝えると、満足げに自分の部屋へ行った。
 俺はリビングに一人残され、部屋の中をゆっくり眺めた。お袋らしくきちんと整理された部屋を見ると、精神的な疾患を抱えているようには思えない。少なくとも親父が生きている間はそんな事はなかった。ママさんバレーのキャプテンで、PTAの会長も務めたし、友人も多かった。


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第一章(四) [小説<十九歳の呪い>]

                        第一章(四)

 お袋に言わせれば、荻野家は呪われているらしい。誰からそんな話を吹き込まれたのだろう。おおかたその祈祷師だろうと思うが、親父の残した退職金と生命保険だって手を付けていないはずだし、お袋もまだ現役で働いている。野菜だって自前で間に合うし、お米だってお袋の実家から融通して貰っている。今までお金をどのくらい使ったのか、それが気になる。この家が抵当に入っているなんて事は考えたくない。
 取り敢えず風呂に行こうと裏口を開けた。親父の葬儀の時から、工事用の目隠しが設置したままになっている。裏山は十メートルほどの崖になっていて、子どもの頃は巨大な壁のように見えた。その崖下に橫井戸があり、野菜などの保存庫として使っていた。子どもの頃に入ったことがあり、足が長くて蜘蛛を大きくしたような気持悪い虫、カマドウマを見つけて飛び出したことがあった。それ以来入ったことは一度もないし、今でもあの虫が一番苦手だ。親父に、〈横井度に入れるぞ!〉と言われると、どんな我が儘なときも大人しくなった。崖にぽっかり空いた黒い空間を見るだけで身震いし、今でも夜中に風呂に行くにはちょっとした勇気がいる。あれが目に入らないだけで、こんなにも気分が違うものかと思う。だけど、お袋はあの横井戸をどうするつもりなのだろう。いっそのこと埋めてくれれば、深夜の風呂が快適になるだろう。

 翌朝、お袋の声で目覚めた。時計を見るとまだ六時を過ぎたばかりだ。こんなに早く目覚めたことは一年以上なかったと思う。
「もう少し寝かしてくれ」
「急がんと遅れてしまう。早う用意して」
 お袋は俺の枕元で言った。
「時間かかるからな、健二もちゃんと仏壇に挨拶してから行くんや」
 お袋はそう言いながら部屋を出て行った。そういえば、昨日帰ってから親父に挨拶をしていなかった。八畳の表座敷に年季の入った黒檀の仏壇があり、出かけたり帰ってきたときは、必ず仏壇に手を合わすのが子どもの頃からの習慣だった。だから今でも般若心経は、目を閉じても唱えることが出来る。
 洗面を済ませ、久し振りに仏壇に向かい扉を開いた。
「え! 何?」 
 俺はお袋に聞こえるように大声で叫んだ。仏壇の中央には、セピア色に変色した曼荼羅が昔のままに掛けてあるが、その周囲には数え切れないほどのお守りやお札が置いてある。毎月のように持ってくるお守りやお札は見慣れていたが、家にこれほどの数があるとは想像しなかった。俺が捨てたお守りを拾い集めたのではないかと疑うほどだ。やはりお袋はどこかが狂い始めている。これは尋常ではない。いったいお袋は何をこんなに怖れているんだろう。今までじっくり話を聞かなかったことを後悔した。


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第一章(五) [小説<十九歳の呪い>]

            第一章(五)

 綾部駅から京都までは特急に乗り、後はバスを乗り継いで辿り着いた。まさかこんな遠くに連れてこられるとは思わなかった。貴船神社辺りまではわかったが、それから先はわからない。お袋がもうすぐ着くと言って一軒の家を指さしたときは、十一時を過ぎていた。
 遠目で見た感じでは、小さなお寺か、庵のように見える。余り生活感がなく、どこかのお金持ちが隠居生活をしているようにも思える。取り敢えず外見上に不健康な感じは見当たらない。この家に住んでいる人なら信用できると思い込まされるだろう。
 小さいが山門のような入り口があり、そこにインターホンが設置されていた。お袋はスイッチを押す前に、背筋を伸ばし一つ咳払いをした。
「ご免下さい。荻野と申します」
 お袋が丁寧な口調で言うと、
「どうぞお入り下さい」
 と優しい老人の声が聞こえた。声を聞くだけで緊張感の解ける気がする。お袋は辺りを見回しながら、石畳に導かれるように玄関に辿り着き、俺も後に続いた。古びた表札には、〈大本〉とだけ書いてある。
「お待ちしていました。遠くから大変だったでしょう」
 中から品の良い七十前後と思われる老人が現れた。お袋は深々と頭を下げると、訪問の礼を述べ、座敷へと案内された。座敷へ通されるまでに見た庭は手入れが行き届き、いかがわしいところは一つもない。まさに京都の風流人とでも言いたくなる。この人と祈祷師はどう見ても結びつかない。俺よりも一回りも二回りも人間の格の違いを感じさせられる雰囲気も持ち合わせている。今までに出会ったことのない種類の人間だ。
「お手紙を読ませて頂きましたが、そちらの方がご子息ですか?」
 大本老人は、柔和な笑顔を見せながら言った。
「はい、健二と申しまして、もうすぐ二十歳になります。今は京都の大学に通っています」
 お袋に紹介されるまま、俺は黙って頭を下げた。来たくて来たわけじゃない。俺はこいつの化けの皮を剥ぎに来たのだと、自分を鼓舞するように考えた。
「なかなか立派なご子息ですね、面構えもいいし、将来が楽しみでしょう」
 大本老人はそう言って、家族構成から先祖のこと、親父のことなど、荻野家の様々な事柄を細かに訊いた。しばらく黙って書き取ったメモを眺めていたが、これから本題に入ると言わんばかりに表情を険しく変えた。
「お手紙では、家系が呪われているとありましたが、もう少し詳しくお話し頂けますか」
 やや上目遣いで、まるで取り調べでもしているようだ。
「呪われているというのは私の思いすぎかも知れませんが、でもそうとしか思えないんです。主人が亡くなり、荻野家のお墓を新しく作り直そうとお寺へ相談に行きました。古い墓石も幾つかあって、いつ頃のもので、誰かもわからないものもありました。それで、お寺の過去帳を全て調べて貰いました。昔のことですから、どこの家でも子どもを病気で亡くしたりしているのは不思議ではないのですが、荻野家は代々長男が十九歳で亡くなっているんです。この二百年間に一つの例外もありませんでした」
 俺は驚いてお袋の横顔を見た。老人を見つめるお袋の眼差しは真剣で、精神的な疾患など入り込む余地は無いように思えるし、嘘を言ってるようには見えない。


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第一章(六) [小説<十九歳の呪い>]

                     第一章(六)

 お袋は話を続けた。
「お寺の記録が本当だとしたら……。それで不安になって色々なところに相談しましたが、どこも気休めにしか思えませんでした。それで、友だちのつてを頼ってお手紙を出させて頂いたという次第なのです。これは今までに亡くなった長男の俗名と戒名です」
 お袋はそう言うと、ハンドバッグから便箋を取りだして大本老人に差し出した。老人はその便箋に顔を近づけ、丁寧に見ている。
「九人ですか、このご先祖様は皆さん長男で十九歳だったのですね。最初の方は、千八百十三年。二百年前ですね。これより前の記録はあるのですか?」
 老人が尋ねた。
「ええ、まだ古い記録が残っていましたが、このようなことはありませんでした。千八百十三年の清太郎が最初です」
「何か、思い当たるようなこととか、言い伝えとかはありますか?」
「私は他家から嫁いだ身ですし、そのような話も、因縁めいたことも聞いたことはないように思います。でも、主人が時々冗談のように言っていたのは、俺の家系は長生きしないからお前も覚悟しておけと、冗談のように言ったことがありました。確かに主人もその父も、曾祖父も五十代で亡くなりました。親戚の人からも、荻野家の男は若死にするから、健康に気をつけろと注意されたことはありました」
 お袋は思い出すようにゆっくり話した。
「ご主人はご病気か何かで?」
「いえ、健康には人一倍注意していましたし、用心深い人でした。それなのに家の裏で倒れて亡くなりました。しかも全裸でした。私の留守中のことで、警察が調べましたが、ムカデ毒によるショック死ということになりました」
 お袋はそう言って顔を伏せた。
「何か不審なことはありませんでしたか?」
 老人が訊いた。
「あれほど用心深い人なのにどうしてあんなことに………そう言えば検死したときに、喉の奥に虫が一匹詰まっていたと聞きました。カマドウマです。おそらく、倒れてから口の中に入ったのだろうと……」
 お袋は言葉を詰まらせた。
「そうですか………とにかく観てみましょう。一緒に来て下さい」
 老人はそう言って立ち上がり、俺もお袋の後に付いて行った。案内された六畳ほどの部屋は薄暗く、中央に大きな祭壇がある。神社のような感じに近いが、何が祀ってあるのかよくわからない。大本老人は、数本の蝋燭に火を灯すと、祭壇に向かって深々と頭を下げて、聞いたことの無い言葉を呪文のように唱え始めた。
 正面に老人が座り、その後ろに俺とお袋が座っている。老人の声は低く、時に高くなりまた低くなる。その不思議なリズムが延々と続き、俺は眠気と戦う事に神経を集中している。やがて老人は深々と頭を下げると俺たちの方に向いて座り直した。
「詳しいことはわかりませんが、やはり何か悪い念が渦巻いているのを感じました。とても強い念で、このままでは健二さんは危険だと判断します」
「やっぱり、私の思った通りなんですね、どうすればいいんですか?」
 お袋が泣きそうな声で言った。俺は自分のことなのに、まるで他人事のように聞こえる。危険と言われても、何も思い当たることはないからだ。
「念というのはどういうことですか?」
 俺は無愛想に質問した。論理的なほころびを見つけてやろうと思ったからだ。どうせ何の根拠も証拠もないはずだ。


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第一章(七) [小説<十九歳の呪い>]

                     第一章(七)

「念ということを説明するのは難しいのですが、そうですねぇ、電波のようなものですね。目には見えないけど、ある周波数で振動しなが空間にあるものです。チャンネルを合わせれば、そこに電波があることがわかるのです。念も電波によく似たもので、チャンネルを合わせなければわからないのです。誰でもそのチャンネルは持っているのですが、合わせるのはなかなか難しいのです。私は子どもの頃から、そのチャンネルが敏感で、すぐに受信してしまうのです。これなら学生さんにも少しはわかりやすいかと思いますが、いかがですか?」
 老人は俺の意地悪な真意を知りながら、穏やかに教えてくれた。だけど、こんな答えは誰でも言えることだ。これで老人に特別な力が備わっているとは思えない。
「自分に危険な念が纏わり付いてるなんて、正直よくわかりません」
 老人はしばらく考えていたが、俺の目を真っ直ぐ見つめて話した。
「もしも、健二さんがこの念を感じたとしたら、そのときは相当危険が迫っていると考えて間違いないでしょう。今はまだ大丈夫です。それまでにこの念の正体を見極めないと対処するのは難しいことです。しかし、間違いなく、健二さんの周囲には得体の知れない念が纏わり付いています。私の経験では余り時間はないと思います。急がないと手遅れになるかも知れません」
 これだ。これがインチキ霊媒師の常套手段だ。危険を煽って俺たちの判断力を混乱させるつもりに違いない。
「お願いします。手遅れにならないうちに何とかして下さい」
 お袋はもう老人の術中にはまって、畳に頭を擦りつけるようにして頼んでいる。百万と言われてもお袋は二つ返事で応えるだろう。
「わかりました。出来るだけのことはしましょう。しかし、このままではどうしようもありません。お母さんに一つ調べて頂きたいことがあります。荻野家の過去を調べて貰いたいのです。理由もなくこのようなことは起こりません。二百年もこのような不幸が続くのは余程のことではないでしょうか。私は明日お宅へ伺って家を隅々まで拝見させて頂きたいのですが、よろしいですか?」
 老人はもう決めたように言った。
「ありがとうございます。どうかよろしくお願いします」
 お袋はまた頭を畳みに擦りつけるようにして礼を言った。老人はお金のことはひと言も言わない。後でふっかけてくるのかも知れない。俺が注意をしていないとどれだけ要求されるか知れたものではない。

 その日はそれ以上何もなく、俺とお袋はバスと電車を乗りついて家に帰った。もう日は暮れて、陽子が一人で待っていた。
「お帰り、遅かったわね、霊媒師はどうだった? もう信じらんないわ、お母さんだってお兄ちゃんだって理系の頭でしょ。一体どうなってるのよ」
 陽子は俺たちの顔を見るなり、口を尖らせて言った。
「霊媒師とは違う。れっきとした祈祷師や。あの方は信頼できる。間違いない」
 お袋は断固とした口調で言った。
「お兄ちゃんはどうなん?」
「俺にはわからへん。どうやら俺は悪い念に取り憑かれとるらしい。急がんと死んでしまうらしい」
「そんなん、嘘や」
 陽子は怒ったように言った。
「明日その人が来てくれるんや。家の隅々まで見てもろたら、何かわかるかも知れん。それにな、急いで荻野家のことを調べなあかん。この家は古いからなぁ、昔の書き物とか色々あると思う。それを全部調べてもらえるかなぁ」
「もう、なんでや。仕方ないなぁ、その代わり、骨董品が出たら私がもらうからね」
 陽子はそう言ってしぶしぶ手伝ってくれることになった。お袋はもう気が気では無い様子で、夕食を済ませたらすぐかかって欲しいと言った。


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第一章(八) [小説<十九歳の呪い>]

                        第一章(八)

蔵に入るのは十年ぶり位だ。子どもの頃にかくれんぼをして入ったが、外から扉を閉められて泣いたことを思い出した。中に入っているのは古い家具や農機具、それに普段使わない上質の食器などがほとんどだ。値打ちのある掛け軸もあるらしいが、目にしたことは一度もない。一階には大きな物があり、梯子を登って二階に行くと、狭いスペースだが書類の類が沢山置いてある。その中には俺たちの子どもの頃の学習ノートだの、夏休みの作品などがある。しかしそれはほんの一部で、ほとんどは墨で書かれた、かなり年代物と思われる文書が桐の箱に保存してある。取り敢えずその年代物の箱を一階に下ろし、母屋まで運んだ。昔の記録らしいものでめぼしいものはこれくらいだろう。
 お袋は母屋の中を探して、親父の若い頃の日記を数冊見つけてきた。これなら俺たちにも読めそうだが、少し後ろめたい気がする。
 持ち出した書類やノートの類を畳の上に並べてみたが、何を読めばいいかもわからない。取り敢えず、自分たちに読めそうなものから手に取ってみた。ほとんどは、家計簿のようなもので、お米の取れ高とか、幾らで売れたとか、葬式の会葬者の名簿など、冠婚葬祭にまつわるものがほとんどのように思えた。お袋は蛍光灯の下にノートの束を置き、黙って調べ始めた。
「あった、これはお父さんのお兄さんが亡くなった年の日記や」
 そう言って黄色くなった大学ノートを見せてくれた。表紙には昭和五十九年と、太いマジックで書いてある。親父らしい几帳面さで、まるで印刷したように見える。お袋はページを斜め読みしながら、父の兄が亡くなった日を探し始めた。
「お兄さんが亡くなる前日まで書いてあるけど、その後は一週間ほど何も書いてない。よっぽどショックやったんやなぁ」
 お袋はそう言いながら、日記を読み始めた。目に見えて表情が硬くなっていくのがわかる。唇を噛みしめ、息づかいも荒くなってきた。
「何が書いてあるの?」
 陽子が聞いても返事もせず、まるで石にでもなったようだ。ようやくノートを閉じると、黙って俺に渡し、大きく息を吸って吐いた。息を吐き終えると、まるで亡くなった祖母のように背中を丸めて俯いた。
 渡されたノートを開くと、そこには几帳面な字がびっしり並んでいる。俺のように適当に書いた字ではない。きちんと漢字を使い、余白に悪戯書きもない。考え深く慎重で用心深い親父らしい日記だ。確かに命日の後一週間ほど日付が飛んでいるが、日付を見なくてもその場所はすぐにわかった。そのページからまるで別人のように字が乱れているからだ。
 書き始めたのは八月十九日からだった。


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