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第一章(四) [小説<十九歳の呪い>]

                        第一章(四)

 お袋に言わせれば、荻野家は呪われているらしい。誰からそんな話を吹き込まれたのだろう。おおかたその祈祷師だろうと思うが、親父の残した退職金と生命保険だって手を付けていないはずだし、お袋もまだ現役で働いている。野菜だって自前で間に合うし、お米だってお袋の実家から融通して貰っている。今までお金をどのくらい使ったのか、それが気になる。この家が抵当に入っているなんて事は考えたくない。
 取り敢えず風呂に行こうと裏口を開けた。親父の葬儀の時から、工事用の目隠しが設置したままになっている。裏山は十メートルほどの崖になっていて、子どもの頃は巨大な壁のように見えた。その崖下に橫井戸があり、野菜などの保存庫として使っていた。子どもの頃に入ったことがあり、足が長くて蜘蛛を大きくしたような気持悪い虫、カマドウマを見つけて飛び出したことがあった。それ以来入ったことは一度もないし、今でもあの虫が一番苦手だ。親父に、〈横井度に入れるぞ!〉と言われると、どんな我が儘なときも大人しくなった。崖にぽっかり空いた黒い空間を見るだけで身震いし、今でも夜中に風呂に行くにはちょっとした勇気がいる。あれが目に入らないだけで、こんなにも気分が違うものかと思う。だけど、お袋はあの横井戸をどうするつもりなのだろう。いっそのこと埋めてくれれば、深夜の風呂が快適になるだろう。

 翌朝、お袋の声で目覚めた。時計を見るとまだ六時を過ぎたばかりだ。こんなに早く目覚めたことは一年以上なかったと思う。
「もう少し寝かしてくれ」
「急がんと遅れてしまう。早う用意して」
 お袋は俺の枕元で言った。
「時間かかるからな、健二もちゃんと仏壇に挨拶してから行くんや」
 お袋はそう言いながら部屋を出て行った。そういえば、昨日帰ってから親父に挨拶をしていなかった。八畳の表座敷に年季の入った黒檀の仏壇があり、出かけたり帰ってきたときは、必ず仏壇に手を合わすのが子どもの頃からの習慣だった。だから今でも般若心経は、目を閉じても唱えることが出来る。
 洗面を済ませ、久し振りに仏壇に向かい扉を開いた。
「え! 何?」 
 俺はお袋に聞こえるように大声で叫んだ。仏壇の中央には、セピア色に変色した曼荼羅が昔のままに掛けてあるが、その周囲には数え切れないほどのお守りやお札が置いてある。毎月のように持ってくるお守りやお札は見慣れていたが、家にこれほどの数があるとは想像しなかった。俺が捨てたお守りを拾い集めたのではないかと疑うほどだ。やはりお袋はどこかが狂い始めている。これは尋常ではない。いったいお袋は何をこんなに怖れているんだろう。今までじっくり話を聞かなかったことを後悔した。


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