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第1章11 [メロディー・ガルドーに誘われて]

  祐介も紗羅も勧められるままにウィスキーを喉に流し込んだ。どの酒も口当たりが優しく飲みやすいものだからつい調子に乗ってしまった。夜が明ける頃には相当酔いが回り、足腰も立たないほどになった。カズも相当飲んだはずだが、陽気になるだけでまだまだ飲めそうに見える。

「二人ともギブアップなのか、しょうがねぇなぁ、泊まってけ!」

 カズはそう言い放つと、バタンとソファーに横になり、瞬時に大いびきをかき始めた。

「最近はいつもこうなの、散々飲ませて、結局自分が一番にバテるの。もう少し若い頃は朝まで平気だったけどね。それにもっと色んな人が出入りしていたわ。最近は私と母ばかりね。人との付き合いもなんだか嫌になってきたみたいなの。カズがこんなに嬉しそうに飲んだのは久しぶりよ。相当気に入られたみたいね」

 紗羅はカズに毛布を掛けながら言った。

「カズさんはここで一人暮らし?」

「そうね、もう二十年くらいかしら。奥さんが亡くなってからはずっと一人ね。何人か付き合った人もいたみたいだけど、長続きはしなかったようだわ。カズは変わり者だからね、カズの良さがわかる人はそういないのよ」

 紗羅はそう言うとカズの寝顔を横目で確かめるように見た。

「祐介さん、彼女は?」

「彼女? 無職の男に彼女なんてムリムリ」

 祐介は手のひらを左右に動かしながら言った。

「無職なんて関係ないわ。何がしたいかよ、肝心なのはね」

「何かあればいいけど俺にはやりたいことなんてないかな。紗羅さんは何かあるの?」

「そうね、今はカズの家の草刈りがしたいわ。この家ったらね、庭が広くて草がぼうぼうなの。エンジン草刈り機でやるとね、とっても気持ちいいわよ」

「あ、それ、俺もやってみたい」

 祐介は身を乗り出すように言った。

「じゃぁ、決まりね、今日の午後開始よ。酔っ払いじゃ危険だからね、よく寝ておいてね」

 紗羅はそれだけ言うと、フラフラと立ち上がり、コップを持って二階に消えた。紗羅の形の良い尻を恨めしそうに見送った祐介は、明るくなりかけた窓を睨むとソファーに倒れ込むように眠った。

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第2章1 [メロディー・ガルドーに誘われて]

  祐介の鼓膜をバスドラムの音が激しく揺らし、身体が飛び跳ねるように反応して身構えた。大地震かトラックが家に突っ込んできたようだ。祐介は周囲を見廻し、ステレオを操作するカズと、キッチンに立つ紗羅を見つけると、眉間に皺を寄せながら立ち上がった。

「これなんですか?」

 挨拶代わりに大きめの声で訊いた。

「アート・ブレイキーのチュニジアの夜だ。目が覚めるだろう」

 カズが嬉しそうに言うと、

「カズの朝はいつもこうよ、大音量で目が覚めるわ。これだけ大きい家だとやりたい放題ね。雑草が伸び放題で廃墟みたいだけど、他人を気にしなくていいところだけは気に入ってるの。都会では一番の贅沢ね」

 紗羅がキッチンから叫ぶように言った。祐介は少し気持ち悪いが、二人は何事も無かったかのようだ。時計を見ると午後二時を過ぎている。

「今日は重労働だからね、いっぱい食べてね」

 紗羅がまた大きな声で言った。テーブルを見るとピザとサラダがあり、珈琲の香りにも気がついた。二日酔いでピザはあまり気が進まないが、食べないと紗羅の機嫌を損ないそうな気がして一枚を手に取って食べた。

「俺は飯を食ったら店に行くから後は適当に頼むよ」

 カズは身体でリズムを取りながらピザに手を伸ばした。

「ちょっとズルくない、二人で重労働やれって言うの?」

「草刈りは俺に似合わないからな、ビザールの年間パスを贈呈するからよろしく」

 カズはそう言って笑った。

「俺はオーケー、その代わりビザールに入り浸りますよ」

「私もビザールに入り浸るわ。二人とも無職だからね、毎日行くわよ」

 紗羅はそう言いながらカズを睨んだ。カズはピザを口に押し込み、珈琲と一緒に胃袋に流し込んだ。食事を味わうとか、楽しむとかの嗜好は皆無のように見える。口にピザを押し込んでいるときもアートブレイキーのリズムに酔っているようだ。

「いつもこうよ、食事には関心が無いの。だから私が工夫して料理してもね、美味しいなんて言ったこと無いのよ。音楽とか音響にはあんなに拘っているのにね、関心が無いって恐ろしいね。目の前にあっても見えてないのよ」

 紗羅はカズに聞こえるように話したが、まるで聞こえていないようで、アルバムを聴き終えると、祐介たちを見ることも無く、片手を軽く挙げながら玄関に消えた。リビングを満たしていた濃密な空気もカズと一緒に消えてしまい、先ほどとは対照的に静寂が二人だけの空間を満たした。祐介はコーヒーカップを持ってソファーに腰を下ろすと室内をゆっくり見廻した。壁面には物憂い表情のコルトレーンの白黒写真が掛けてあり、音響機器が数台にスピーカーは三セットほど置いてある。そして膨大なレコードが天井に届きそうなところにまで置いてある。店にも相当数あるから、合わせれば日本でも有数のコレクターかも知れない。

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第2章2 [メロディー・ガルドーに誘われて]

「凄いでしょ、カズはジャズファンの間では有名みたいよ。時々ね、雑誌に記事を書いたりしているわ。音響関係の本も出しているみたいね。聴きたいレコードあったら回してもいいわよ」
 紗羅は腰に手を当て、レコードを見上げながら言った。
「自分の好きなことを仕事にできるなんて羨ましいね、俺もそんなことを目指したけどね。気が付いたら苦しくて苦しくて」
「それで辞めたの?」
「まぁ、そんなところかな。仕事があるだけでもありがたいのにさ、我慢できなくてね、後先考えずに辞めてさ、結局ただの負け犬になったよ。社会不適合者だね」
 祐介はそう言うと小さく笑って見せた。
「カズも似たようなこと言ってたわ。俺は落伍者だって。親の遺産のおかげで好きなことやってられるってね。ビザールではギリギリだって」
「それでも羨ましいね、遺産じゃなくて、ずっと好きなことがあるってことがね。俺の夢は醒めてしまったよ。今はなんにもなしのろくでなし男」
「じゃぁ、あるのは可能性だけね。無限ね、楽しみだわ」
 紗羅は嬉しそうに言ったが、祐介は小さく頷くだけで何も言えなかった。自分のことを負け犬と言ったのは本心で、この先にどんな未来も見えなかった。可能性なんて言葉だけで、実際には絵に描いた餅のようにしか思えなかったからだ。紗羅の言葉は世間知らずの慰めにしか聞こえない。
「可能性か……俺には眩しくて真っ直ぐ見られそうにないよ」
 祐介はコルトレーンのポートレートを見ながら言った。
「重症ね、それじゃリハビリ開始よ。ここで待ってて、道具を揃えるからね」
 紗羅は勢いよく雨戸を開け、庭へ飛び出していった。午後の日差しで暖められた空気と一緒に陽光が祐介の足もとを照らした。一番苦手な光だ。プログラマーを十年続けた後遺症は、昼間の光を嫌うようになったことだ。セピア色の気怠いジャズの染み込んだこのリビングもきっと祐介と同じなのだろう。眩しい光に晒されて色褪せてきた。暗闇を支配していた艶やかな生命力がその力を弱め始めたようだ。

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