SSブログ

第2章2 [メロディー・ガルドーに誘われて]

「凄いでしょ、カズはジャズファンの間では有名みたいよ。時々ね、雑誌に記事を書いたりしているわ。音響関係の本も出しているみたいね。聴きたいレコードあったら回してもいいわよ」
 紗羅は腰に手を当て、レコードを見上げながら言った。
「自分の好きなことを仕事にできるなんて羨ましいね、俺もそんなことを目指したけどね。気が付いたら苦しくて苦しくて」
「それで辞めたの?」
「まぁ、そんなところかな。仕事があるだけでもありがたいのにさ、我慢できなくてね、後先考えずに辞めてさ、結局ただの負け犬になったよ。社会不適合者だね」
 祐介はそう言うと小さく笑って見せた。
「カズも似たようなこと言ってたわ。俺は落伍者だって。親の遺産のおかげで好きなことやってられるってね。ビザールではギリギリだって」
「それでも羨ましいね、遺産じゃなくて、ずっと好きなことがあるってことがね。俺の夢は醒めてしまったよ。今はなんにもなしのろくでなし男」
「じゃぁ、あるのは可能性だけね。無限ね、楽しみだわ」
 紗羅は嬉しそうに言ったが、祐介は小さく頷くだけで何も言えなかった。自分のことを負け犬と言ったのは本心で、この先にどんな未来も見えなかった。可能性なんて言葉だけで、実際には絵に描いた餅のようにしか思えなかったからだ。紗羅の言葉は世間知らずの慰めにしか聞こえない。
「可能性か……俺には眩しくて真っ直ぐ見られそうにないよ」
 祐介はコルトレーンのポートレートを見ながら言った。
「重症ね、それじゃリハビリ開始よ。ここで待ってて、道具を揃えるからね」
 紗羅は勢いよく雨戸を開け、庭へ飛び出していった。午後の日差しで暖められた空気と一緒に陽光が祐介の足もとを照らした。一番苦手な光だ。プログラマーを十年続けた後遺症は、昼間の光を嫌うようになったことだ。セピア色の気怠いジャズの染み込んだこのリビングもきっと祐介と同じなのだろう。眩しい光に晒されて色褪せてきた。暗闇を支配していた艶やかな生命力がその力を弱め始めたようだ。

nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。