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変化(5) [小説<物体>]

                                 変化(5)

 この得体の知れない物体に祐子のカンは警戒信号を出していないようだが、俺には怖いモノ知らずの無謀な行為のように思える。祐子は出逢った時から物体に愛着を感じて名前を付け大切に見守り、目に見える変化は祐子の気持ちを踊らせ夢中にさせている。もし祐子のカンが正しければこの物体は俺たちに災いを招くようなことにはならない筈だが、そう簡単に気を許す気にもなれない。

 祐子に見送られ仕事に出かけたが、通勤電車の中にもしかしたら誰かに育てられ成長した物体が何食わぬ顔でつり革に掴まっていやしないだろうかと気になる。そう思いながら周囲を見回すと、どの顔も物体に見えてくる。ふと窓に薄く映る自分の顔を見ると目が閉じているように見えた。もう一度しっかり見ようと思ったが、窓の明るさはもう俺の顔を映してはくれなかった。

 会社は飯田橋の近くにある小さな雑居ビルのワンフロアーを使っている。四階にある会社は入り口のドアに飛鳥設計と小さく書いてあるだけで他に目立つものは何もない。現場担当からここの設計室に配属になりもう三年が過ぎたが、仕事は単調で期待していたような設計業務に携われることは殆どない。今日もディティールを少し変更した程度の図面を引くだけの仕事が待っている。ドアを開けるといつものように後輩の太田が一番に出社して設計室の準備をしている。

「おはようござ………」
 後輩の太田はそう言いかけて俺の顔を不思議そうに見ている。
「うん…何?」
「板橋さん、どうしたんですか、今、寝ながら入ってきましたよ、寝不足ですか?」
 そう言って笑った。
「え? 俺がいくら有能でも寝ながら歩くのは無理だろう、図面引くくらいなら寝ながらでも出来るけどな、まぁ、太田には無理だろう」
 そう言って俺も笑ったが、太田のポカンとした不思議そうな顔は冗談で作れる顔じゃない。自分ではいつものようにドアを開け、正面にある時計を確認したのを覚えているし、太田が腰を屈めてゴミ箱の中身をチェックしているのを見ながら歩いたのも覚えている。その時に、ゴミ箱にプリンターのインクが捨ててあるのも思い出した。きっと太田が寝ぼけているか見間違えたのだろう。少し引っかかるものがあったが、それ以上考えることはせず設計スペースに向かった。

 まずコーヒーを用意して、昨日やり残した図面の前に座りパイプに火を付けた。これは気持ちよく仕事を始める為の儀式のようなものだが、パイプを使う理由は図面を引くときに灰が落ちないようにしたいからだ。最近は太田が俺の真似をしてパイプ愛好者になった。俺のブランデーグラスタイプのパイプはホワイトヒースという木を素材に使い、木目が美しく見た目にも飽きなくて気に入っている。俺が煙をくゆらし始めると太田がやって来て無駄口を叩くのがいつもの日課で、今日もコーヒーカップを手に持ってやって来た。

 

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