縁すること [コラム]
少々照れくさい話を一つ。
昨日のことですが、道路端に咲いているツツジを美しいと感じたのです。
今まで、花を見ても、綺麗だなぁ・・・・程度に感じる感性は持ち合わせていたのですが、もう少し深いところで、花の存在そのものを「美しい」と感じたのです。
歩きながら、もう一度振り返り、その美しいと感じた感性を確かめるように見直しました。
やはり、いつもと感じ方が違うのです。いつも何気なく見過ごしてしまうツツジです。
どうしたのだろう、いつもと何が違うのだろうと考えると、思い当たることがありました。
その数分前まで合って話していた人の存在です。あの人に会ったからではないかと思い当たりました。
その人はもう60を越えた元訪問看護師さんです。悠々自適の生活なのですが、現在は、今まで自分が仕事として関わってきた、たくさんの病んだ人。その人たちを尋ねて歩いているのです。ご自身も、ポリオによる脳性麻痺(歩くときに片足を引きずる)と、心臓ペースメーカ装着というハンデをお持ちです。
にもかかわらず、尋ねて歩いて、困っている場合には救いの手をさしのべられていました。
その方に出逢うことで、私の何かが変化したのでしょう。
ツツジの花がとても美しかったのです。素晴らしいとさえ思いました。
東洋には、縁に触れるという考え方があります。また、縁があるとか無いとか、そんな風にも使われます。
自分の縁した対象によって、自分の中の何かが触発されて、今まで隠れていたモノが表に出てくるということです。
きっと、私の出逢った訪問看護師さんの中にある、素晴らしいモノに触れたことで、私の中の何かが表に出てきたのでしょう。
そう考えると、良いモノに縁すると言うことはとても大切なことのように思います。人でアレ、音楽でアレ、書物でアレ、絵画でアレ・・・・そうやって、自分の中を耕していくのかも知れません。
皆さんは、日常、どんなモノに縁していますか?
ささやかな、ちょっとした体験でした。
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