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第1章10 [メロディー・ガルドーに誘われて]

 そう言うと、紗羅はスピーカーから出てくる音に耳を傾け、ゆったりした動きで身体を揺らし始めた。祐介もサックスの包み込むような音色に身を委ると、それは心地よくて、ここでどんな罠にはめられたとしても構わないと思えてくる。近代的ということから取り残された、昭和の息づかいそのままのリビングが、サックスの音色でセピア色に染まってくる。祐介もその中で何かしらの色に染まってくるのを感じた。
「ビザールはよく来るの?」
 紗羅が訊いた。
「いや、初めてだよ。好きな曲が聞こえたから入っただけ。中に入ったら自分の居場所を見つけた気がしたよ。仕事も生きがいも恋人も夢も希望もね、何もなくても気持ちを満たしてくれそうな気がしたんだ」
 祐介は紗羅の、少し赤くなった顔を見ながら言った。
「それで、満たされたのかしら?」
 問いかける紗羅の目が酔っている。
「どうかな、いいところで騒ぎ出した客がいたからね」
 祐介が笑いながら言うと、
「それなら、飲まなくちゃ」
 とカズが話に割り込み、祐介と紗羅のコップにビールを注いだ。
「祐介君は何もなくて空っぽなんだな、いいことだ」
 カズが嬉しそうに言った。
「その言い方はちょっと馬鹿にしてない?」
 紗羅がカズを横目で睨むようにして言った。
「馬鹿になんかするもんか、ガラクタ集めていっぱいにするよりは空っぽの方がいいに決まってるさ。祐介君もそう思うだろう?」
「手を振り回したときに何か掴めれば、ガラクタでもそれだけでしばらく生きられそうに思うけど、でも気休めかな」
「その通り! 気休めだね」
 カズはまた面白そうに笑って言った。
「楽しかったらさ、気休めでも、なんでもいいじゃん」
 紗羅が言うと、
「人生、気休めの連続で終わっちまうね。気がついたら俺みたいに頭が禿げちまう」
「私はそれでもいいわ。人生は気休めよ、それで一生過ごせたらラッキー!」
 紗羅が嬉しそうに言った。
「今日は人生論になっちまったぞ。祐介君にガラクタ人生論を教えてもらおうか」
「俺に人生論なんか無いかな、無職のパラサイト・シングルだからね。夢も希望も無いのは当たり前で、そんなものあったって幻みたいなものだよ、何も満たしてくれなかった」
「おぉ、ますます祐介君はいい男になってきたね。最高だね」
 そう言うと、カズは祐介に酒を勧め、テーブルの上には見たこともない古そうなウィスキーが数本並んだ。ラベルを読むとボウモアとかバランタインとか書いてある。国産は山崎だけだ。カズの講釈では、山崎が年代物でこの中では一番高くて数十万するらしい。

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