第3章 その(10) [小説 < ツリー >]
第3章 その(10)
加代子は夕方まで眠り続け、目覚めると頭の傷を指で触り、俺の目を見つめ続けた。何かを確かめるように執拗に俺の目を追う。瞳の奥にはもう誰もいないことがわかる。
「私………怖い」
加代子は身体を起こすとそう言った。
「何かに取り憑かれたみたいだったよ」
「取り憑かれた………」
加代子は下を向いて考えている。
「怖い顔して<かわれ>って俺に言った」
「そう………」
どこか気が抜けてしまったように見える。話し方もぼんやりしているようで、いつもの加代子ではない。
「大丈夫?」
「ええ、私、帰る」
加代子はそう言うと、さっさと身支度を終え、さよならも言わず部屋を出て行った。
部屋の窓から遠ざかる加代子の後ろ姿を見た。いつもなら途中で一度振り返るのだが、まるで落とし物でも捜しているかのように下を向いたまま歩き続け見えなくなった。
このまま終わってしまうような気がした。加代子はどうして頭の傷のことを訊かなかったのだろうか。訊かれても事実は言えなかったかも知れない。俺は加代子を突き飛ばしてしまったのだ。
心の中に風が吹く。通りを吹き抜ける風が吹く。その風に身を晒しながら加代子は振り返りもせず一人で歩いて帰った。
四年の月日を思い出した。一年の時に俺から声をかけた。入学して間もない頃で、お互いに知り合いも少なく、教室の中ではいつも一人で座っていた。毎日加代子を斜め後ろの席から眺めていたが、ある日心を決めて隣に座り話しかけた。それほど時間はかからず、二人はどこにでもいるような恋人同士になった。毎年夏の終わりに一緒に旅行に行き、沖縄旅行で遊んだ海は、今でも思い出しては二人で笑いあった。就職したらお互いの両親に紹介するつもりだったのに、俺の中の何かが狂ってしまった。
あの魔桜にさえ出逢わなければ……あの桜が気に入り通い始めてから俺の中に変化が起こった。今ならそのことがはっきりとわかる。
去年の秋の初めだった。鎌倉古道をジョギング中にたまたま細い道を見つけたのだ。いつもなら通り過ぎるはずだが、たまたまその日は足を止めてしまった。人間一人通るのがやっとのけもの道を下りていった。すっかり道から外れてしまい、辺りが薄暗くなりかけたときにあの桜を見つけたのだった。
その堂々とした姿は一目で俺を魅了し、俺はその場にしばらくボーッと突っ立っていた。
誰からも忘れ去られたであろう桜を俺は宝物のように思った。そうして、懐かしい家族にあったように抱きついたのだ。
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