第3章 その(9) [小説 < ツリー >]
第3章 その(9)
「巨木のようになりたいって言ったじゃない、だから呼ばれているのよ」
変だ。微笑んではいるが、目は笑っていない。加代子の身体から身震いするほどの冷気を感じる。目の前にいるのは加代子ではない。
「誰だよ、お前は!」
俺は瞳の奥に向かって訊いた。声が震えていたかも知れない。
「私がわからないの、祐介さん、さぁ、行くのよ」
と、加代子は俺の手首を掴んだ。指先にまで力が入り、逃がすまいとする強い意志を感じる。その意志とは裏腹に相変わらず笑顔を見せている。
「手を離せよ!」
手を思いっきり引っ張ってみたが、加代子の力は予想外に強く、反対に俺の方が引き寄せられてしまった。バランスを崩して床の上に横倒しになった俺の上に覆い被さるようにして加代子が言った。
「か…わ…れ…」
同じだ!………。
あの時は真っ暗で見えなかったが、今は顔が見える。
加代子の目と口は吊り上がり、口は耳まで裂けているように見える。
「やめろ!」
渾身の力で加代子を突き放すと、加代子の身体が傾き鈍い音がした。加代子の力が緩み、その場にゆっくりと倒れ込むと、耳の上辺りから血が流れ落ちた。テーブルの角に頭をぶつけたようだ。
顔を覗きこむようにして見ると、赤ん坊が泣き疲れて眠ったような、疲労感と開放感を感じる。安らかな加代子の寝顔である。息を確かめると、規則正しく心地よさそうな寝息に聞こえる。先ほどの顔が嘘のように思えた。
しかし、あの顔は忘れることが出来ないだろう。執念とも、怨念とも思えるし、燃える業火のような眼光と、言うべき言葉を失い耳まで張り裂け、凍りついてしまったような口。髪の毛は千々に乱れた心のようだった。
俺は加代子の血を拭き取り、小さく切れた傷口にタオルを当てた。それほど酷くぶつけたわけでもなく、軽い脳震盪だと思い目覚めるまで休ませておくことにした。
今日も冷たい風が窓に当たり、古いアパートを揺らしている。この風は公園の道を通りやって来る。そしてその延長線上に、桜の巨木が辺りを威圧するように枝を張っているのだ。今の俺にはあの場所が、形亡き者たちが集まる異界の入り口のように思えた。
加代子もあの場所に立ち、異界の者たちに知らず触れてしまったのだろうか。ありふれた日常、ありふれた生活の中に異界の者たちはいとも簡単に入り込んで来る。そして何かを狂わせてしまうのだ。
加代子も美緒も、何者かの言葉を俺に聞かせ、そして消えてしまった。そして俺もまた、何者かの言葉を伝えたように思う。あの三人と同好会の友だちに。一体何が起きようとしているのだろうか。そして俺は………どうなるのか。
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