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第6章 その(4) [小説 < ツリー >]

アジャンタとエローラ―インドデカン高原の岩窟寺院と壁画 (アジアをゆく)

アジャンタとエローラ―インドデカン高原の岩窟寺院と壁画 (アジアをゆく) (単行本(ソフトカバー))

立川 武蔵 (著), 大村 次郷

 

 

                                       第6章 その(4)

 美緒はメールを開いて片岡さんに読ませた。
『有り難う、わかりました。何とかして出ます。もう少し待ってください。家の中には十二人いて、男女はほぼ半々です。それから大学の後輩もいて、祐介君の知り合いです。この家は宗教団体の拠点のようで、仏像や曼荼羅があります。それと、木で彫った男の人のモノが祭ってあります。道祖神? 女の人のも並んであります。何か変で、私は何かに利用されるようです。今のところ危険はなく、大切に扱われていますが、軟禁状態で余り自由はありません。祐介君の正体がわかりました。高速を下りてしばらくしたら、自分から名前を言いました。棚橋源三郎という名前で、皆のリーダーのようです。今夜何かの儀式があるようで、今はその為の修養をしているようです。メールを打てるのはトイレだけです。  加代子』

「道祖神が祭ってあって、棚橋源三郎? 何だったかなぁ、聞き覚えのあるような気がする」
 片岡さんはしきりに首を傾げている。
「道祖神て、何?」
 美緒が訊いた。 
「俺は神道だから詳しくは知らないけど、道祖神というのは男性のシンボルで、命を生み出す聖なるモノ。信仰の対象にされているように思ったなぁ。女性器はそれ以上に尊いモノとして祭られていると思う」

「男と女の性器が信仰の対象なの?」
「まぁ、そういうことだ。でも別に珍しいことではないよ、性器は命を生み出すところだからね、そこに神の存在を感じるのは当然かも知れないね。むしろ、その方が健全なのかも知れないよ、現代は、性器に宿るのは神ではなくて快楽だけに成り下がったね」
 片岡さんはそう言った後も考え込んでいる。

「でも、仏像や曼荼羅が置いてあるんだから、仏教なんでしょう。悟りを開くのが仏教じゃないのかしら。座禅も悟りを開く修行だって聞いたわ。性器を拝んで悟りが開けるの?」
 美緒も理解に苦しんでいるようだ。

「悟りねぇ、俺には無縁な言葉だけど、なんだろうね」
 片岡さんはそこまで言うと黙った。それ以上言葉を思いつかないようだ。

 俺には何となくわかる気もする。インドの寺院の壁画には、まるで春画のような艶めかしい彫刻が至る処に施してあるが、それに通ずるものがあるように思う。究極の快楽の果てに悟りが待っているとしたら、これ程人間に都合のいいことはないだろう。こんな宗教なら実践してみたい。そこまで考えると、考えが浮かんだ。

 もしかしたら、真言天地流というのは、人間にとって、最も都合のいい宗教じゃないだろうか。他の仏教では、性欲を徹底的に排除し、女性さえも排除するが、こちらは徹底的に呼び込むことが出来る。これで悟りが開けたら、申し分ない。

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