始まり(5) [小説<物体>]
始まり(5)
道路を何か喚きながら走る音が聞こえ、この家の奥さんである杏子さんが慌ててカーテンを少し開けて様子を見た。
「男の人が包丁を手に持って走って行ったわ」
カーテンを閉めると不安そうに言った。
「地方局はまだ生きてる、都市部から徐々に地方に拡大しているのかもしれない、山梨放送が東京などの都市部には行かないように呼びかけてる」
ご主人の陽介さんがラジオのチューニングを調整しながら言った。
「じゃぁ、山梨へ逃げましょうよ、私の実家があるわ。狂った人が家に乗り込んで来そうで怖い」
杏子さんが言うと、
「どこへ逃げても同じだ、樹木が人間を脅威と感じているなら、むしろ地方の方が危険かも知れない」
健二老人は腕組みをしながら言った。
「じゃぁ、人間はこのまま狂って滅びるしか道はないの? 殺し合って滅びるの?」
杏子さんは泣きそうな顔で訊いた。
「少なくともワシは絶望していないし狂ってもいない。ここにいるみんなもそうだ。何故だと思う? あの子たちがいるからだ。逃げても何も解決しないし、いつかは追いつかれて滅びてしまう。だったらここで踏ん張ってみようと思うがどうだろう。謙太さん親子は行動を共にすると言ってくれたが、杏子さんもいいかね」
老人は穏やかな口調で、覚悟を決めるように迫った。
「私は嫌よ、山梨放送は無事だったじゃない。ここより安全よ、異変も起きてないのよ、こんなところにいたらそのうちみんな狂った人に殺されてしまうだけよ、みんなで山梨へ逃げましょう、いいでしょう」
杏子さんはご主人や老人にすがるように言った。
「杏子の言う通りかも知れない。俺も逃げた方がいいと思う」
陽介さんは奥さんを庇うように言った。
「今は確かに山梨は無事だが……この先は分からん。ここなら父母会の仲間もいるし何か方法が見つかるかも知れん」
陽介さんにまで言われて老人は困ったように言った。俺も山梨が無事ならそっちへ逃げたいと思うが、しかし老人の言うように樹木が原因だとすると自然の豊かな場所ほど危険ということになる。それに俺たちが狂わずにいるのはマー君がいるからだと思うし、マー君のような子どもがこの近くにいるなら皆で行動を共にすれば何か解決の糸口が見つかるかも知れない。誰もそれ以上何も言えず黙り込んでしまった。
「ねぇ、いいこと思いついたよ」
マー君が言った。
「わたしもよ」
早苗ちゃんも同じように言うと、二人で面白そうに笑った。
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