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始まり(6) [小説<物体>]

                                 始まり(6)

「マー君、いい事って何?」
 祐子が訊くと、
「早苗ちゃんとならもっと素敵な声を出すことが出来るんだ」
 そう言って二人は顔を見合わせた。
「楽しそうでしょ!」
 早苗ちゃんは嬉しそうに言うと、リビングのドアを開けて階段に走り出した。マー君は後ろから追いかけるように後を追い、競争するように階段を駆け上がった。二階の廊下の窓が勢いよく開き、その音が階下に響いた。

 残された大人が慌てて後を追うと、マー君は背伸びをして窓から顔を出し、その後ろから早苗ちゃんも身を乗り出すようにして外を見ている。

「何をするの、そんなことして誰かに見つかったら危ないわ、止めなさい!」
 杏子さんが後ろから押し殺したような声で注意した。
「平気よ、お母さん」
 早苗ちゃんはそう言うと、マー君が以前やったように頬を膨らませ不思議な音を出し始めた。近くの家からは怒鳴り声が響き、ガラスの割れる音や悲鳴が聞こえる。数人の足音がバタバタと近づいてくる。
「人が来るわ、早苗、止めるのよ」
 杏子さんがそう言って早苗ちゃんの肩に手をかけると、
「だめ!」
 と、マー君が振り返って杏子さんを見つめた。その眼差しにはとても五歳児とは思えない強さを感じる。持って生まれた風格のような力だ。この力だけは努力や学習では身に付かず、いわば先天的に身につけているものなのだろう。杏子さんはその眼差しに気圧されて手を引いた。俺もそうだが、おそらく他の大人も同じように感じたのだろう、黙ってマー君の動きを見ている。
 早苗ちゃんは何も聞こえなかったように、次第にその音を大きく出し始めた。マー君はその音を暫く聞いていたが、自分も頬を膨らませ声を出し始めた。寸分の狂いもなく二人の音が調和しているようだ。二人の呼吸はピタリと合っているのだろう、胸の動きや頬の動きまで、まるで計ったように同調して動いている。

 思わず目を閉じてしまいそうになる。マー君が初めて聴かせてくれた時とは比べものにならない程の心地よさだ。二人が呼吸を合わせるだけでこれほどの音が出せるだろうか、同調した音は果てしなく響き渡るように感じる。

 聞こえていた足音が聞こえなくなった。怒鳴り声も大きな物音も聞こえない。辺りは当に水を打ったような静けさの中に二人の音が染みこんでいく。木々の枝さえ動きを止めているように思える。
 二人はその手応えを確かめるようにしながら一段と音を大きく高く、うねるように響かせている。

 

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