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第二章(四) [小説<十九歳の呪い>]

                 第二章(四)

「できたよ、お腹いっぱい食べて寝たらすぐ朝や、みんなで八畳に寝たらええ」
 雅代叔母さんが元気な声で言いながら、カレーライスを運んできた。全員がリビングに揃い食事を始めたが、陽子がひと言も喋らなくなっている。時々お袋が気にして陽子の顔を盗み見している。陽子の変化は誰も薄々感じているようだが、その理由を図りかねて口に出せないでいる。
「叔母さん、この家って二階はないよね」
 陽子が天井を見上げながら言った。
「陽子ちゃん、この家に二階があるわけないやろ。あんた、子どもの頃からこの家で遊んだやないの。どうしたの?」
 叔母さんは微笑みながら訊いた。
「なんでもないの……」
 陽子はそう言うとまた黙ってスプーンを口へ運んだ。叔母さんが話題を変えて、隣のご主人が浮気して大喧嘩になった話とか、娘の同級生が大阪でホステスになって派手な格好をして帰省した話とか、身振り手振りを混ぜて愉快に話してくれた。その度にお袋は大きな口を開けて笑っているが、陽子はやはり俯いたまま笑いもしない。叔母さんは話しながら、陽子の表情を時々見ている。
「陽子ちゃん、今日のことはなんかの勘違いや、きっとそうや、あの祈祷師に騙されとるのや。明日になったらあの祈祷師が頭を下げて、勘違いやったって謝るに決まっとる。今のご時世に呪いやなんてアホらしい話や。なぁ、陽子ちゃんもそう思うやろ」
 叔母さんはそう言って陽子の肩をポンと叩いた。肩を叩かれた陽子は叔母さんを横目で睨み付けた。
「陽子ちゃん、あんた……大丈夫か?」
 叔母さんの顔から笑顔が消え、お袋が心配そうに陽子を覗き込んだ。
「お兄ちゃんは十人目の犠牲者になるのよね」
 
 陽子の低く抑揚のない口調は俺を心配した言葉には聞こえない。普段は明るくて誰からも好かれる陽子とはまるで別人のようだ。
「陽子、いい加減にしろ。妹でも許さねぇぞ。俺は十人目にはならねぇ。絶対だ!」
 俺は睨み返して言ったが、陽子の視線に晒され鳥肌が立った。まるで冷風を吹き付けられたように感じる。陽子の冷たい視線は舐めるように全員を見た。
「陽子、あんたちょっと変やないか、さぁ、お茶でも飲んで」
 お袋がお茶を飲ませようと湯飲みを差し出すと、黙って立ち上がり台所へ行った。後から三歳になったばかりの愛梨ちゃんが嬉しそうに付いていった。
「愛梨、こっちおいで!」
 翔子が台所に向かって慌てて呼んだ。台所から愛梨ちゃんのはしゃぐ声が聞こえる。叔母さんも何かを心配するように呼んだ。しばらくすると愛梨ちゃんが嬉しそうな顔でリビングに戻り、手の中に何かを隠して俺の前に立った。まだ先ほどの不快感が残ったままだ。子どもの相手はしたくなかったが、三歳児に不快感を露わにしても大人げないと思い笑顔を見せた。愛梨ちゃんは、両手を膨らませるように合わせ、俺の顔の前に突き出した。


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第二章(五) [小説<十九歳の呪い>]

               第二章(五)

「あーげーる」
 愛梨ちゃんが、覚えたばかりの言葉で嬉しそうに言った。俺は少しふざけながら、
「なにかなぁ―」
 と両手を差し出すと、その上に閉じた掌を乗せて開いた。嫌な感触が掌に伝わり、反射的に手を払うように動かすと、膝の上にカマドウマが落ちた。それを見た翔子が小さな声を上げ、お袋は身体を後ろに反らした。近くにあった新聞で払い落とすと、カマドウマは長い足を使って思い切りジャンプして部屋の隅に着地した。
「愛梨! あんな虫に触っちゃだめでしょ!」
 翔子は片手で愛梨ちゃんを強引に引き寄せ叱った。あの虫を見ると橫井戸が目に浮かぶ。子どもの頃何も知らずに橫井戸に入り、手を置いた壁面にびっしり張り付いたカマドウマを見て悲鳴を上げたことがあるからだ。あれ以来橫井戸には一度も入っていない。
「カマドウマなんてどこにいたんかなぁ、家の中では見たことないのに……」
 そう言って叔母さんが首をかしげた。だけど、あんな敏捷なカマドウマをどうやって捕まえたのだろう。まだ三歳の子どもに捕まえられるとは思えない。
「陽子! ちょっとこっちこいよ」
 俺は陽子を大声で呼んだ。愛梨ちゃんでなければ陽子しかいない。あいつが捕まえて愛梨ちゃんに持たしたとしか考えられない。だけどそれにしたってあり得ないことだ。陽子は俺以上にカマドウマが嫌いだし、とにかく虫と呼ばれるものには一切手を触れることができないからだ。
 陽子がリビングに入ってきた。とにかく様子がおかしい。リビングで大騒ぎになっていたのに表情一つ変えない。いつもの陽子なら、部屋の中にカマドウマが出たと言うだけで中には入れなくなってしまうのだ。
「陽子、お前どうかしてるぞ」
 俺は先ほどの冷ややかな視線を思い出しながら言った。
「私は平気よ。それより心配なのは荻野家の長男だわ、死ぬ覚悟は出来たの?」
 陽子はそう言って薄ら笑いを浮かべた。暗く凍りついたような視線は俺の口から言葉を奪い、喉元に刃物を突きつけられたように身動きできなくなった。背筋を冷たいものが走り抜け、嫌な予感は俺の身体を小刻みに震えさせ始めた。
「陽子、お前は……」
 お袋が辛うじて口にした言葉も途中で切れてしまった。
「そうよ……十人目を迎えに来たの……もうすぐ死ぬのね……楽しみだわ」
 陽子の言葉は、俺たちを打ちのめすのに十分な衝撃を与えた。陽子は俺たちの怯えた顔を味わうように眺めると、暗くなった裏口から外へ出て行った。お袋は後を追うように腰を浮かせたが、そのまま首だけを伸ばして行く先を追った。
「姉ちゃん、どうしよう、陽子が……」
 お袋は叔母さんの目をすがるように見ながら言った。
「陽子ちゃん、どこ行ったんやろ」
 叔母さんは、裏口とお袋を交互に見るだけで、狼狽えているのがわかる。俺だってどうしていいかわからない。
「妙子、電話、ほら、あの祈祷師に電話するんや」
 叔母さんに言われ、お袋は慌ててポケットから携帯を出し、指先を震わせながら操作した。携帯の向こう側で着信音が聞こえる。早く出ろと念じると、大本さんの声が聞こえてきた。お袋は一生懸命に話しているが、側で聞いていても要領を得ない。俺はお袋の携帯を奪い取ると、陽子が陽子でなくなり、俺が死ぬのを楽しみにしているようだと伝え、一人で外に出て姿が見えなくなったと話した。


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第二章(六) [小説<十九歳の呪い>]

                    第二章(六)

 お袋は俺の手から携帯を受け取ると、大本さんの話も聞かずに、怖いから今すぐに助けに来て欲しいと頼んだ。電話口から聞こえる大本さんの声は冷静で、夜中に外に出ることが一番危険なこと、俺を絶対一人にしないこと、陽子のことは黙って見守るようにと注意した。すぐ駆けつけたいが、自分自身も夜中に動くことは危険なので、夜が明けたらすぐに出発すると付け加えて電話は切れた。
「陽子ちゃん、操り人形みたいやった」
 カーテンの隙間から外を見ていた叔母さんが言った。
「どうしたらええんや、陽子はどうなったんや」
 お袋はそう言って叔母さんの横から外を見た。
「叔母さんの言う通りや、陽子は誰かに操られてる」
 俺が言うと、お袋は食い入るように暗い外を見つめていたが、
「うちが連れ戻しに行く」
 と裏口へ行きかけた。
「妙子! 陽子ちゃんが見えた」
 と叔母さんが呼び止めた。カーテンの隙間から覗くと、確かに陽子が裏山のなだらかな斜面に立ってこちらを見つめている。お袋は慌てて戻ると、俺を押しのけて隙間から覗いた。
「陽子! 陽子!」
 お袋は窓を開けて大声で呼んだ。暗くて表情はよく見えないが、真っ直ぐ俺たちを見つめているように思える。俺も大声で呼んだが、聞こえているようには思えない。ただ黙って立っているようだ。
「俺が行く」
 そう言って裏口へ歩き始めると、今度はお袋が俺の服を掴んで引き留めた。
「健二は外に出たらあかん」
「陽子をあのままにしとくのか」
 俺が言うと、お袋は自分が行くと言ってもう一度裏口に向かった。
「妙子、あんたも行ったらあかん。誰も出たらあかんのや。陽子ちゃんは大丈夫や、死んだりせえへん」
 叔母さんはお袋を引き止めて言った。
「そやけど、陽子が……」
 お袋が泣きそうな声で言った。
「外に出たら思う壺や、陽子ちゃんは操られて健二を誘うとるんや。祈祷師さんの言う通りにするしかないんや」
 叔母さんはそう言ってカーテンの隙間を閉めた。リビングは重苦しい空気に包まれ、翔子は俯いて子どもを膝の上で寝かせている。
「陽子がかわいそうや、裏山に一人でかわいそうや」
 お袋が泣き始めた。
「狙われてるのは健二だけや。陽子ちゃんは霊感が強いから利用されてるだけで、命を取られることはないと思う。そやから、うちらは健二と一緒に家の中で辛抱するしかないんや」
 叔母さんがお袋の肩を抱きながら言うと、お袋は涙を拭きながら頷いた。俺は今すぐにでも裏山へ駆けて行き、陽子を無理矢理にでも連れ戻したい。だけど、叔母さんの言うように俺が狙われていることは間違いないし、相手にどんな力があるのかわからない。俺を誘い出そうとしているのなら、家の中は取り敢えず安全なのだろう。四方に施された盛り塩とお札に何かの効果があるのかも知れない。


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第二章(七) [小説<十九歳の呪い>]

                         第二章(七)

 叔母さんはリビングに毛布や布団を運び込み、それぞれ好きな場所に身体を横たえた。翔子は子どもを抱いて寝かしつけている。お袋と叔母さんは神経を尖らせているのがわかる。俺だって、どんな小さな音も聞き逃さないほど神経が昂ぶっている。時々カーテンの隙間から裏山を見るが、陽子はずっと立ったままでこちらを見ている。
 時計を見ると零時を少し過ぎた。祈祷師の大本さんの話では、昔から丑三つ時が霊体の力がピークになる時間らしい。今の時間だと午前二時から二時半位だと教えてくれた。大本さんは呪いの儀式にも詳しく、現代でも呪いをかけることを〈丑の刻参り〉と言うらしい。その時間は午前一時から三時頃だと言った。だからその時間帯は一番注意しなくてはいけないと話してくれた。それが正しければ、これからが一番注意しなくてはいけない。 眠気はあるが、目を閉じると陽子の姿が目に浮かび、恐ろしい妄想が頭を持ち上げてくる。その度に陽子の様子を確かめにカーテンの隙間から覗くことになるが、今のところ何の変化もない。このまま朝まで無事でいてくれるよう祈るしかない。朝になれば祈祷師の大本さんが来てくれるから、きっと救い出してくれるに違いない。それまでの辛抱だ。
 足元に広げた新聞紙に何かが落ちるような音がした。目を向けるとそこに大きなカマドウマが一匹いる。俺は驚いて跳ね起き、叔母さんから殺虫剤を受け取ると、少し離れて噴霧した。カマドウマは二度ジャンプするとあっけなく倒れ、長い足をぴくつかせて動きを止めた。俺は動かなくなったカマドウマが濡れて光るまで噴霧し続け、皆は何事かと殺虫剤の噴霧先を見つめている。
「もう一匹や、そこ、そこ!」
 叔母さんが部屋の隅を指さし、俺は慌ててカマドウマにノズルを向けた。
「こっちにもおる!」
 お袋が叫んだ。俺は部屋の周囲を注意深く探すと、床に壁面、カーテンにも三匹ほど見つけた。天井を見上げるともっと多く、数匹いる。
「カマドウマだらけや!」
 俺はむきになって殺虫剤を噴射し続けた。息苦しくなりカーテンと窓を全開にすると、目の前に陽子が現れ、心臓が止まりそうになった。陽子は薄気味悪い笑顔を見せて立っている。陽子のTシャツやジーンズにもカマドウマが取り付き、顔や手、髪の毛にもカマドウマが見えた。陽子はゆっくり右手を挙げ、窓から部屋の中に手を伸ばそうとした。その手には数匹のカマドウマが取り付き、ジャンプして部屋の中に飛び込んできた。
「陽子!」
 俺は名前を呼びながら一気に窓とカーテンを閉めた。窓の向こうから、陽子の含み笑いが聞こえてくる。
「お兄ちゃん、助けに来て、お兄ちゃん、助けに来て……」
 陽子が抑揚のない声で俺を呼んだ。あれは陽子の声じゃない、俺はそう言い聞かせて窓をロックした。叔母さんは慌てて裏口と玄関の鍵を閉め、全ての窓をロックして廻った。陽子が窓を叩く音が部屋に響く。


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第二章(八) [小説<十九歳の呪い>]

                   第二章(八)

 俺たちはリビングを諦めて、隣の部屋へ移動した。ドアをしっかり閉め、部屋の中にカマドウマのいないことを確認して真ん中に集まった。お袋は陽子の姿を見たのだろう、叔母さんに抱かれて泣いている。
「陽子どないしたん、なぁ、陽子どうなったんや」
 翔子は子どもを抱きしめながら、叔母さんに訊いている。叔母さんは黙って首を横に振るだけで何も言えない。だけど何かが起き始めていることだけはわかる。時計を見るとまだ一時を過ぎたばかりで夜明けまでにはかなりある。リビングは直接外に面している部分があるけど、この部屋はそうではない。扉をしっかり閉めておけば、外から入られることはないはずだ。とにかくこの部屋で朝まで過ごすしかない。 
 窓を叩く音が消え、足音がゆっくり動き始めた。裏口から表へ移動しているのがわかる。玄関の前で止まった。
「お兄ちゃん、開けて! お願いだから開けて!」
 先ほどの抑揚のない声とは違う。もしかしたら正気に戻ったのかも知れない。俺が立ち上がりかけると叔母さんが俺の手を引いた。
「もうちょっと様子を見てからでもええ、かわいそうやけど、信用できへん」
 そう言って首を横に振った。お袋は耳を押さえて耐えている。
「お兄ちゃん、どうして入れてくれへんの? 助けてお兄ちゃん!」
 陽子は同じように何度も繰り返したが、俺たちが黙っていると諦めて静かになった。陽子の足音が再び動き始め、家の周りをゆっくり歩いている。そして窓の所に来ると大きな音を立てて叩いた。
「開けろ! 荻野の長男を出せ! 開けろ! みんな殺してやる!」
 とても陽子の声とは思えない。ドスの利いた太い声はみんなを震え上がらせた。ガラスを叩く音が大きくなった。
「ガラスが割られてしまう!」
 俺が叫ぶと、
「人の手くらいではなんともない。女の一人暮らしやから、この家のガラスは全部防犯ガラスにしてある」
 叔母さんはそう言って音のする方を睨んだ。音が止んだかと思うとまた別の窓を叩き始め、陽子の足音は何度も家の周りを廻った。ようやく足音が聞こえなくなったが、何をしているのかわからない。聞き耳を尖らせて周囲の様子を探ったが、部屋の中からではわからない。この部屋の外は縁側になっていて、その縁側は防犯ガラスのサッシが取り付けてある。縁側ならカーテンを開ければ様子を見ることができる。俺はゆっくり引き戸を動かし縁側へと行った。そっとカーテンを開けると、月明かりに照らされた前庭が見えるだけで陽子の姿はどこにもない。窓にカマドウマが飛びつき滑り落ちた。しばらくしてまた一匹、また一匹とだんだん増えていく。驚いて窓の下を見ると、カマドウマが足の踏み場もないほど集まってくる。何かに操られているように、次から次へと窓に体当たりをしてくる。俺が動くと俺の動く方にジャンプしてくる。俺を狙っていることは間違いない。もう一度辺りを見廻したが陽子はどこへ行ったのかわからない。


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第二章(九) [小説<十九歳の呪い>]

              第二章(9)

「あれで終わったとは思えへん」
 部屋に戻った俺に叔母さんが言った。時計を見ると午前二時半だ。大本さんはこの辺りの時間が一番危険だと言った。霊力が強くなるらしい。肩を寄せ合うように部屋の真ん中で息を潜めていると、先ほどまでいたリビングから妙な音が聞こえ始めた。お互いに顔を見合わせたが、誰も感じている不安を口にすることが出来ない。あの音は昆虫の這い回る音としか思えないのだ。俺が扉を少し開けて覗くと、思った通りカマドウマがひしめき合っている。慌てて扉を閉めたが、その間に数匹が部屋の中に飛び込み、ドアに挟まれて潰れたしまったカマドウマもいる。叔母さんは俺の座っていた座布団で飛び込んだカマドウマを潰した。この様子では家の中はカマドウマだらけになっているのだろう。辛うじてこの部屋だけが無事だが、どこから入ってくるかわからない。俺は部屋の隅々を調べて、入り込む隙間のないことを確かめた。
「どうしよう、水も飲まれへんし、トイレも行かれへん」
 翔子が眠り込んだ子どもを抱きながら言った。
「トイレも水も我慢したらええ、朝になったら何とかなる」
 叔母さんは怒ったように言った。トイレや水は辛抱できても、まだこれから何が起こるか見当もつかない。
「地震や」
 叔母さんが天井を見上げるようにして言った。同じように天井を見上げると、照明器具が少し動いている。
「違う!」
 俺が叫ぶと叔母さんは不安そうに周囲を見廻した。お袋の顔は恐怖で泣きそうに見える。
きっと俺と同じように、実家から逃げるときのことを思い出したのだろう。座卓の上にある湯飲みがカタリと音を立てた。その振動は身体にも感じる。間違いない。俺に纏わり付いているという念が今ここに来ているに違いない。
「健二! ここに来た、ここに来たんや」
 お袋は叔母さんにしがみつき、叔母さんの顔も怯えている。隣の部屋から何かが落ちる音が聞こえた。僅かだが家全体が小さく揺れているような気がする。天井からは木材のきしむような音に、何かが弾けるような音が混じり始めた。
「何なの、変な音が聞こえる」
 翔子は天井を見上げると、大きな悲鳴を上げた。翔子の見上げた場所に目を向けると、そこから今にもムカデが落ちそうになっている。天井板の合わせ目から這い出してきたようだ。ムカデは座卓の上に落ちると、身体をくねらせながら俺に向かって這い出した。俺は部屋の隅に置いてある大きな灰皿でムカデを潰した。頭を潰さないと動きを止めることは出来ない。この部屋は完全に昆虫に取り囲まれている。毒を持っているのはムカデだけだが、少々噛まれても死に至るようなことはないはずだ。カマドウマは雑食性で噛みついてきそうだが、気味が悪いだけで実害はない。俺に纏わり付いているという念は、俺をここから追い出そうとしているに違いない。どんなに恐ろしい念だったとしても、生身の身体の俺が負けるはずがない。
「出てこい! 俺を狙ってるなら目の前に現れろ! カマドウマだろうがムカデだろうが、そんな虫ケラなんか全部ぶっ潰してやる。出てこい!」
 俺は四方に向かって怒鳴り散らした。お袋たちは肩をすくめて俺を見ている。時計を見ると午前三時だ。
 天井から電気がスパークスするような音が聞こえ始めた。


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第二章(十) [小説<十九歳の呪い>]

                        第二章(十)

「そんな子供だましなんか怖くねぇぞ!」
 もう一度天井に向かって怒鳴った。テーブルが小さく動きガタガタ音を立て、家中の柱が悲鳴を上げるようにきしみ始めた。数匹のムカデが俺に向かって落ちてきた。そのムカデを灰皿で潰し膝を立てて身構えると、翔子がゆっくり立ち上がり俺を指さした。
「ムカデとカマドウマに食われてしまえばいいわ」
 翔子は、低い声で俺を睨みながら言った。ムカデが翔子の足に取り付き、身体をくねらせながら上へ登っていく。
「翔子、何を……」
 俺は翔子と視線が合い、背中に冷たいものが走った。声が出ない。翔子がゆっくり近づいてくる。
「死ねば…いいのよ」
 陽子と同じだ。操り人形のように動きがぎごちない。操られているとわかっていても、翔子の眼に宿っている光は、俺の心臓を凍らせてしまいそうだ。翔子は、俺の眉間にピタリと照準を合わせていた指先をゆっくり動かし、縁側に向けた。
「カーテンを……開けるのよ」
 翔子が命じ、俺は言われるまま、翔子を見ながらゆっくりカーテンを開けた。異様な気配を感じる。
「ぎゃー!」
 俺は尻から床に落ち、倒れ込んだまま起き上がれない。ガラスの向こうに首と胸から血を流した若い女が立っている。端正な顔立ちだが、首は今にも胴体から離れて落ちてしまいそうだ。全身が泥まみれで、胸には乳飲み子を抱え、隣には小さな女の子が血の付いた鎌を持って立っている。二人の子どもも首から血を流し同じように胴体とずれている。まるで墓場から這い出してきたようだ。清太郎が殺した親子に間違いない。
 まるで蝋人形のように動かないが、真っ黒な節穴のように見えるその眼は間違いなく俺を見ている。光のないその眼は、底知れぬ怖ろしさを感じる。俺がどれほど精神を強く持ったとしても何の役にも立たない。俺の近くに来るだけで心臓はあっという間に動きを止め、呼吸も出来なくなってしまいそうだ。親子はゆっくり動き始め、ガラス戸に近づいてくる。俺はまるで金縛りになったように、声も出せず身体も動かない。目に映るのは血を滴らせながら近づく親子だけだ。それ以外には何も見ることができないし、助けを求めることもできない。女はガラス戸を通り抜けようとしたが、途中で動きを止め、その表情に憎しみを露わに見せ始めた。端正な顔立ちがみるみる崩れ、眼は吊り上がり、髪を逆立て、小さな口は耳の付け根まで裂けると、白い歯を剥き出して俺を睨んだ。
「わすれるでない……清太郎!」


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第二章(十一) [小説<十九歳の呪い>]

                             第二章(十一)

 親子はそう言うと姿を消した。胸が大きく膨らみやっと息を吸うことができた。これは夢でも幻でもない。ガラス戸の向こうを見たがもう親子の姿は見えない。どこに行ったのだろう。どこかに隠れていそうな気がする。ゆっくり後ろを振り返ると翔子が倒れ、お袋たちは、肩を抱き合うようにして俺の顔を見た。その顔を見れば、今、目の前で起きたことが幻覚ではないことがわかる
「だ、大丈夫か?」
 お袋が声を震わせながら言った。
「あぁ……」
 俺はそれ以上言葉を発することができない。身体が小刻みに震えているのがわかった。
「翔子!」
 叔母さんが思い出したように大きな声で呼ぶと、俺の横で倒れている翔子が身体を起こした。愛梨ちゃんが母親に抱きついて泣き出した。何もわからない三歳の子どもにも、怖ろしさは伝わっていたのだろう。
 目の前から姿は消えても怖ろしさは消えないし、カーテンを閉めに動くことすらできない。部屋の中にいたムカデはいなくなり、天井からも落ちてこない。だけどそれが幻覚の類でなかったことは、俺に叩き潰されたムカデの数を見ればわかる。俺たちは耳をそばだて、ガラスの向こうを目を皿のようにして見続けた。木の枝が風に揺らされただけで身体がビクリと動き、空気が少し動くだけで反射的に天井を見上げた。目の前から急に姿を消したのは、俺たちを油断させる罠のように思え、時間が経つほどに怖ろしさが増していった。
 東の空が明るくなりかけると、ようやく身体の力を少し緩めることができた。明るくなれば大丈夫とは言い切れないが、暗闇を見続ける恐怖とは比べものにならない。それでも誰も動くことができず、縁側に近づくこともできない。
「夜が明けた。もう大丈夫みたいや」
 叔母さんはそう言うと、部屋をゆっくり見廻し、リビングに続くドアを小さく開けた。ドアに挟まれたカマドウマの死骸が落ちたが、それ以外には何もいない。まるで悪夢でも見ていたようだ。だけど油断はできない。俺たちははっきりこの目で見た。荻野家を悩ませてきた呪いが正体を見せたのだ。あのガラス戸から入ってこなかったのは、盛り塩とお札に力があったのかも知れないが、このまま引き下がるはずがない。
「陽子! 陽子はどこへ行ったんや!」
 お袋が思い出したように名前を呼び、ガラス戸から外を探した。
「陽子が見えん、どこにおるんや、陽子!」
 そう言いながらフラフラと玄関に向かって行く。外に出るつもりなのかも知れない。俺はガラス戸から、明るくなった外を確かめた。念のためリビングのカーテンの隙間から裏山を見るとまだ暗い。時計を見ると四時前だ。
「出るな! まだ夜だ!」
 俺が玄関に向かって叫ぶのと同時に鍵の開く音がした。
「閉めろ!」
 玄関に走ると、ドアーが風に吹かれてゆっくり開いていく。その先にお袋の姿は見えない。ドアにはべっとり血が付いている。玄関の向こうはまだ暗く、飛び出そうとした俺を叔母さんが必死に止めてドアを閉めた。俺はドアの前で崩れるように座り込んだ。ドアに付いた血がゆっくり垂れている。
「ギャー」
 翔子の声だ。俺の身体は弾かれたように動き、縁側の八畳間へ走った。明るいはずのガラス戸の向こうは暗く、その暗闇の中にあの女が中空に浮かび薄ら笑いを浮かべている。手にはお袋の首をぶら下げている。俺はまともに見ることができず大声を張り上げ、その場にうずくまった。怒りと怖ろしさで身体がガタガタ震えているのがわかる。誰かが俺の背中にしがみついた。喉がヒューヒュー音を立てている。見たくない。幻であって欲しい。嘘だ。全部嘘に違いない。何かの見間違いだ。お袋は絶対生きている。


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第二章(十二) [小説<十九歳の呪い>]

「母さん! 母さん! 返事しろ!」
 俺は顔を伏せたまま大声で呼んだ。何度呼んでも返事がない。聞こえるのは、呻くような泣き声だけだ。拳が震える。見たくない。あんな無残な光景は見たくない。頭の中に焼き付いた映像が蘇る。俺の中に途方もない怒りがこみ上げて来るのがわかる。奥歯がギリギリ音を立てる。あの女の怨念よりも俺の憎しみの方が強いはずだ。俺はガラス戸に向かって突進する為の筋肉に力を蓄えゆっくり顔を動かした。拳は震えているが、俺の怒りと憎しみは頂点に達し、全身が鋭利な刃物になったように感じる。覚悟を決め、中空を睨むとそこには見慣れた夜空が広がっている。俺たちは騙された。
「母さん! 母さん!」
 俺はガラス戸に駆け寄り、辺りを見廻しながらお袋を呼んだ。月明かりで前庭が薄ぼんやりと見える。女が中空に浮かんでいた辺りの地面に黒ずんだ水溜まりがある。裸足で飛び出すと、足の裏に嫌なぬめりを感じた。見なくても血だとわかる。周囲を見廻したがお袋の首を持った女の姿は見えない。叔母さんが縁側から、中に入れと必死に手招きしている。俺はまだ生きている。もしあの女がいたら掴みかかるつもりだった。もう一度大きな声でお袋を呼んだがどこからも返事がない。目を凝らすようにして辺りを見たがお袋の姿も陽子も見えない。もし俺の見たことが本当ならどこかにお袋の身体があるはずだ。だけどどこにもお袋の身体はない。二百年前に死んだ女に生身の人間を運べるはずがない。そんなバカなことはあり得ない。俺は何かを叫びながら辺りを探し続けた。もしかしたら陽子を連れてお袋が現れそうに思えたからだ。
 ようやく赤く染まりかけた空を見ながら叔母さんが縁側から降りてきた。そして、俺の足元に溜まった血だまりの前に座り込んだ。
「あれは幻やない。この血ぃは妙子の血ぃや」
 叔母さんは放心したように言った。信じたくはないが、それ以外に考えられない。誰もお袋の死骸を見ていないし、殺されるところも見なかった。だけど、ドアを開けた一瞬の間に起こってしまった。俺が聞いたのは鍵の開く音だけだった。お袋は掻き消すようにいなくなり、次の瞬間にはあの女がお袋の首をぶら下げていた。これが、祈祷師の言う怨念なのだろうか。もしそうだとしたら俺は助かるはずがない。どう逃げたって殺されてしまうだろう。死にたくなければ塩とお札に囲まれて暮らさなくてはならない。
「俺はここにいるぞ! 殺せ! 出てこい!」
 明るくなった空に向かって叫んだ。

 俺たちは家の中で、何もできないまま黙って畳の目を見つめ、そして裏山を眺めた。あの女はどこに消えてしまったのだろう。この明るい光の中に溶けてしまったのだろうか。だとしたらお袋と陽子はどこに消えたのだろう。理解の範疇を超えてしまうと、思考力はポカンと口を開けたように活動を止めてしまった。頭は何かを考えているようだが、何の結論も導き出さないままカラカラと空転している。先ほどまで一緒にいたお袋がここにいない。無残な光景が何度も何度も脳裏に蘇る。狙われているはずの俺がここにいて、お袋がいない。荻野家で無残な死に方をしてきたのは長男だけのはずだった。だけど親父は橫井戸の前で不可解な死を遂げた。これからは荻野家に関わる人間なら誰が殺されても不思議ではないのかも知れない。
 玄関に車の止まる音がする。


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