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幻覚3 [小説 < ブレインハッカー >]

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幻覚(3) 

 いつもと同じ道を歩き同じ電車に乗った。いつもと感じが違うのは由美のせいである。
<所詮男なんてこんなものさ>
 と、呟いてみる。いつもの鬱々とした気分が内ポケットの奥に潜り込んでいった。満員電車が揺れるたびに背中を押されるが、倒れない程度に身を任せている。目を閉じると満員電車の揺れも心地よく感じられ、眠気が津波のように襲ってくる。その度に吊革を握り締めて堪えた。しかし何度目かのとき、踏ん張っている足に体重を感じなくなった。あの感覚だ。伸也は<来る>と思った。ここ数ヶ月間というもの、眠る直前の意識の薄れていく瞬間に妙なことが起きていた。慣れてはきていたがやはり不安を感じる。突然体が宙に浮いたように感じると、自然落下するように気が遠くなっていく。そのまま落ちて行きたい誘惑を意識しながら身を任せていると、急に周りが明るくなりそして伸也は一面の菜の花を眺めているのに気づく。
伸也は自分がどうなってしまったのかを詮索するより、少しでもこの感覚を味わっていたかった。ただ目の前の世界だけが美しく、それ以外何も無かった。なだらかな斜面に一面の菜の花。自分はその世界にいるが、地面に立っている実感はない。ただ美しさだけを感じている世界がある。その美しさの実感は今まで感じたことのないものであり、感動でも喜びでもない、純粋に美しいだけの世界である。時間の感覚は全くない。十二月に菜の花はあまりにも突飛だが、伸也の見ているものは間違いなく菜の花だった。黄色い光と空の青い光が細かい粒子となって不規則に輝きながら飛び跳ねる。その粒子が伸也の体の中を飛び跳ね通り抜けていく。伸也は自分も粒子となり、光と一体になったような瞬間を味わった。
吊革を握る右手に力が入り、その刺激で身体に重力を感じた。眠っていたような感覚はなく、気がついたというような感覚だった。窓に見慣れた景色がある。ウトウトし始めてからでも三分ぐらいの時間だろうと伸也は思った。こんなことを繰り返しているうちに、自分の精神がどこかおかしくなってくるのではないかと不安になる。幻覚を見ているのだろうか。しかし幻覚にしてはあまりにも美しすぎるし、何度か見るうちに共通したところのあることに気がついてきた。殆どの場合人間の気配を感じない自然だけの世界に居るのだった。しかし生気に満ち溢れた世界といってもよい。あんな世界が幻覚で見られるとは思えない。自分の体が何処かへ飛んで行ってしまったような感じがするのだ。いくら考えても分らない。いつもの堂々巡りになってしまう。伸也は答えの出ないまま電車の扉が開いてホームに押し出された。ホームを冷たい風が吹き抜けると急に現実の世界へ引き戻され、慌てて人波に歩調を合わせ乗り換えの電車に向かった。
人波に紛れれば、つかの間だけでも孤独感を誤魔化すことが出来るという人もいるが、伸也はその反対だった。人波の方がより深刻な孤独感を感じたりする。しかし今日の伸也は、その人波の延長線上に由美の存在を感じることが出来た。
 
 次の日、伸也は定時になると手際よく片づけを終わらせ、入念に爪の間に入った油を落としサイモンに行った。この店には岩木や、同期の友人達と何度か入ったことがある。取り立てて特徴はないが、カウンターにはサイフォンが小綺麗に並べられ、いかにも美味しいコーヒーといった演出がしてある。確かに美味しいのかもしれないが、伸也には何処で飲んでも同じに思えた。気に入っているのは、雑誌の種類の多いことぐらいだ。ちょっと早く来すぎたことを後悔しながら雑誌を読みかけると由美がやってきた。自分に向かってくる由美を見ると、初めてのデートなのに懐かしい家族にあったような気がする。
「早かったのね、朝は遅いけど」
 と言うと、昨日のようにくすっと笑いながら腰を下ろした。
「出勤するだけでも感謝してもらわなくっちゃ」
 と、伸也も笑いながら由美の顔を見た。
「あの後で、係長が言ってたのよ、あいつと知り合いなのかって。ええ少しって言うと、やめた方がいいって言ってたわよ」
「なかなかいい係長だね、なんて返事したの」
「そうしますって返事したら結構嬉しそうだったわ」
 由美は面白そうに笑った。
「昨日、会社辞めるって言ってたけど本当なの?」
 伸也はコーヒーカップを手に持ったまま訊いた。
「本当よ、もう少し休みの取りやすい仕事に変えるつもり。三浦さんも辞めるんでしょう、ちょっと無理みたいじゃない」
「まぁね、あんな会社にいつまでもいるつもりはないしね。岡村さんは辞めてどうするの」
「色々ね、やりたいことがあるの」
 由美の少し考え込むような表情は、伸也には意外だった。
「やりたいことって?」
「うーん、私のことはいいでしょう、その内にね。問題なのはあなたよ、三浦さんはどうするの」
 由美はいつもの明るい表情になって訊いた。
「君みたいにやりたいことがある訳じゃないし、でもあの会社で一生過ごすつもりもないし、俺も色々あってね、少々疲れ気味って感じかな」
 伸也は岩木達とこんな話をした後はどっと疲れを感じたりするが、由美と話すと元気が出てくるような気がする。
「色々?もしかして彼女かしら」
 由美は伸也の瞳を覗き込むようにして訊いた。
「そうだったらいいけど、ちょっと違うみたい、話してもいいけど、きっと信じないよ」
「話したいんでしょう、私に。信じるわよ………きっと」
 由美はそう言いながら、身を乗り出すようにした。
「じゃ、話すけど、とにかく変な話なんだ。いきなり自分がどこかへ行ってしまうんだ。本当にどこかへ行くんじゃなくて、その場所にいて、でもどこかへ行ってるんだ。眠気と関係があるようなんだけど、電車の中だったり、布団の中だったりして、まるで夢か幻覚を見ているようなんだ。たいていは気持ちいいし、悪い感じじゃないんだ。
「どこへ行ってるの」
 由美は真面目な顔で訊いた。
「うーん、なんて言うか………昔の映画だけどソフィア…ローレンのひまわりって映画知ってる?」
「ビデオで見たことあるけど名作でしょう」
「その中に野生のひまわりが群生している小高い丘のシーンがあったろう、見渡す限りひまわりの花、それがどこまでも続くところ。俺の見るのは菜の花だけど、ちょうどそれに似た黄色と空の青だけの世界なんだ。自分が確かにそこにいることは分るけど、しっかり地面に立っている実感はなくて、ただ目と感覚だけがあるような感じなんだ。それがすごく気持ちよくて、なんて言えばいいのか、殻を全部脱ぎ捨てて命だけの自分になったような………上手く言えないな………思うがままの自分になったようなと言うか………とにかく最高なんだ」
 伸也は上手く言えなくて結局最高としか言いようがなかった。
「どこかへ行ったというのは信じるけど、それって夢じゃないの、目を閉じて行ける世界は空想と夢の世界だけよ。でなければ分裂気味かもよ」
 由美は突飛な話しをする伸也をちょっといじめてみたくなった。
「いや、夢とは全然違うんだ。夢なら自分ですぐわかるよ」
「どうしてわかるの」
「どうしてって言われると困るけど………だって風の音も聞こえるし。太陽は眩しくて見ていられないし、俺の頭の中であんな世界は作れないよ」
「でも眠っていたんでしょう」
「自分では眠っていた感じはしないけど、そのとき自分がどうしてたかははっきりしないんだ。仕事中はぶつぶつ言ってたらしいけど、このときは自分でもよくわからなくて、ちょっと変なんだ」
 伸也は話せば話すほどつじつまが合わなくなるような気がしてきた。
「三浦さんてやっぱり変な人ね。私の思った通りだったわ」
 と言うと、由美は嬉しそうに笑った。
「おかしいかなぁ」
 と伸也も考え込む振りをして、途中で笑い出してしまった。
「本当は全部信じたわよ」
「いいよ、無理しなくても」
「無理じゃないのよ、私ね、人間て何が起きても不思議じゃないって思ってるの。危なかったりすることはないの?」
 由美は少し心配そうに訊いた。
「今のところ大丈夫だけど、仕事中は部品をつけ忘れてラインストップになるぐらいだから」
「だったらあなたのその世界、もっと詳しく調べられないの、私知りたいわ」
 伸也は、由美がどこまで真面目に訊いているのかよくわからなかったが、
「調べる方法があるかなぁ?」
 と答えてしまった。
「よく見てくるだけでもいいんじゃない。例えばその菜の花の世界だけど、その中では自由に動いたり見たり出来るの?」
「連れて行かれて、見せられてるような感じだけど、とにかく余計なことを考える余裕の無いぐらい圧倒的な景色なんだ。いつも菜の花という訳じゃなくて、山や海のときもあるけど、一番多いのが菜の花の風景なんだ。どうしてかなぁ」
 伸也が考え込むほどに由美は益々目を輝かせ、身を乗り出してくる。
「こんな話が面白い?君の言う通り分裂症で悩む男の幻覚かも知れないよ」
 伸也は由美の好奇心がよく分からなかったし、こんな話を由美とすることになるとは思っていなかった。それにコートを脱いだセーターの二つの膨らみが気になっていた。
「悪いけど面白い、でも分裂症じゃないと思うよ」
 と由美は正直に言った。
「面白いはないだろう、同期の友達も何人かノイローゼで辞めてったのがいるけど、俺も来たかなって気がしたよ、マジで」
「三浦さんは大丈夫よ、結構いい顔してるから、会社は続きそうにないけどね」
「いい顔はしてないと思うよ、いつも陰気に見えるだろう」
「だからいい顔なのよ」
 と、由美は自分勝手に決めるように言った。
伸也は、
「何がいいんだかわかんないけど、悪い気はしないからいいことにしておくよ」
と言うと、残ったコーヒーを飲み干した。
「食事は?」
 と伸也が誘うと、
「ごめんね、今日は帰らなくちゃいけないの」
 と由美は申し訳なさそうに言った。
「用事でもあるの?」
 と伸也は納得いかない様子で訊くと、由美は少し時間をおいて、
「アルバイトなの」
 と言った。
「アルバイト?これから………」
 伸也は、岩木から聞いた由美の話はおもしろ半分のデマだと思っていたが、意外な由美の行動を聞くと少し不安になった。
「出番になっちゃったのよ、友達から熱出したからって昼に電話があったの」
 由美はわざとなのか肝心なことを言ってくれない。
「出番て、何の?」
 伸也は親しくなった由美が、どんどん離れていってしまうような気分で訊いた。
「ちょっと恥ずかしいけど………ピアノなの」
 由美は小さく言うとくすっと笑った。
「ピアノ?」
「そう、リハビリみたいなものね。叔父さんの店で弾かせてもらっているの。よかったら一緒に来てもいいけど………来る?」
「いや、今日は遠慮しとくよ、その内に行くから」
 伸也は言ってから少し後悔した。由美の予想外の話と誘いに気後れしたからだ。
「じゃあ、この次ね。ねえ、三浦さんて色んなところへ行ってしまうんでしょう、だったら、私の部屋へ来ること出来る?」
 由美はまた突拍子もないことを言って伸也を驚かせた。
「そんな無理だよ、自分の思い通りになんかならないんだから………体も一緒ならいつでも行けるよ」
 と伸也が言うと、由美は、
「でも、心は置いて来るんでしょう」
 と嬉しそうに笑って言った。
「ねぇ、本当に出来ないかしら、試してみようよ」
 と由美が、まるでゲームでも楽しむように言うと、
伸也は出来るはずのないことはよく分かっているが、
「じゃぁ、入浴シーンつきなら行ってもいいよ、何時に行けばいいの」
 と由美の冗談につき合ったつもりで答えた。
「いいわよ………それじゃあ、今夜の………零時に来て」
 由美が念を押すように伸也の瞳を覗き込みながら言うと、伸也は、
「零時?うーん………でも念のため住所だけは教えて」
 と笑いながら言った。
「だめよ、目を閉じれば何処にだって行けるんでしょう。私本気で待ってるからね。でも、三浦さんが来たことを私はどうやって判るのかしら」
 と由美は大事な問題を発見したように訊いた。
伸也はしばらく考える振りをしてから、
「それは、感じるしかないよ」
 と由美につき合って答えた。
「わかった、感じるのね」
 と由美は納得したように言うと、
「私、ちょっと変?」
 とつけ足した。
伸也はほっとしたように、
「二人の会話って、もしかしたらすごく変かもしれない」
 と言いながら笑ってしまった。
「そうね」
 と由美も笑ったが、
「でも今夜は試してみて、なんか不思議な気分になれるから」
 と言うと、時計を見て帰り支度を始めた。
 サイモンから駅は目の前にある。伸也は一緒に歩きながら由美の肩に手を廻したいと感じたが、まだガラス細工とガラス細工がほんの一滴の接着剤で繋がっているようで、不用意に触れることが出来ないでいた。


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