SSブログ

始まり(8) [小説<物体>]

                              始まり(8)

 血を流している人がゆっくり膝を折りその場に倒れ込んだ。地面に身体を横たえながら目を開き俺たちの方を見ている。俺の視線と交わり合い暫くして静かに目を閉じた。まだ若く俺より少し上だろうか、その視線が死に行く人のものであると感じたが、そこには絶望の色は見えなかった。
 近所の家に明かりが灯り、玄関の扉が開き次第に人の数が増えてくる。窓の下で立ち止まった人は皆同じように目を閉じ身体を揺らし始めるのだ。まるで極上の音楽を聴いているかのように見える。
 耳を澄ますと二人の音に共鳴するように遠くの方からも響いてくる。きっとマー君や早苗ちゃんのような子どもたちなのだろう、その音が何重にも重なるように増え、町全体にこだまするように広がり始めた。まるで大晦日の夜にあちらこちらの寺院から聞こえる除夜の鐘のようだ。
 きっと、この窓の下のような光景があちらこちらで起きているのだろう。このまま街に平静さを取り戻すことが出来るのではないだろうか。

 二人の音が次第に小さくなり、最後は聞き取れないほどになって終わると、目と閉じていた人たちが目を開け始めた。まるで催眠術から覚めたように辺りを見回し、考え込むようにしたり、何かを思い出そうと首を捻ったりしている。絶望と狂気の気配は消えているが、その代わりに不安げな表情を見せ始めた。

「生まれるわ!」
 若い女の人が叫んだ。
「始まったぞ、みんな殺される。俺たちは憎まれてる」
 年配の男が言うと、考え込んだり首を捻っていた人も何かを思い出したように怯えた表情を浮かべた。
 先ほどまでの穏やかで満たされた空気が恐怖に侵され、正気を取り戻した人たちのざわめきがパニックを起こしそうだ。

 俺にも窓の下で怯える人たちの恐怖が伝わってくる。その恐怖は俺が目を閉じて見た景色を思い出させ、人肌のように柔らかだった樹木が脳裏に浮かんだ。何かが起ころうとしている。その確信だけが強くなった。
 隣にいる祐子を見ると、同じように感じていることが分かる。祐子だけではなくその場にいる皆も同じなのだろう、お互いに厳しい表情で顔を見合わせた。

「マー君、何が起きたの?」
 祐子が訊いた。
「僕と早苗ちゃんはね、死にかけた動物みたいになった人を助けたんだ。とっても楽しかったよ。でもね、大変なことになっちゃった。僕は死んじゃうよ」
 マー君はそう言って祐子を見上げた。
「お母さん、私も死んじゃうわ」
 早苗ちゃんもそう言ってお母さんに抱きついた。

創作小説ランキングサイトに登録しました。よろしければ下記リンクをクリックお願いします。http://www.webstation.jp/syousetu/rank.cgi?mode=r_link&id=3967


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0