悪夢(2) [小説<物体>]
悪夢(2)
杏子さんはサードシートから早苗ちゃんとマー君を前席に押し出そうとしている。ルームミラー越しに見ると確かにサイドウィンドウに何かが貼り付いているのは分かるが、動いているようには見えない。しかし杏子さんと子どもたちの怯えようは普通ではない。健二老人も窓から身体を離しながら窓に貼り付いているものを見ている。
車をこんなところで止めるわけにはいかない。もし止まったらあっという間にあのトカゲ野郎に取り囲まれてしまいそうな気がする。一刻も早くこの道を通り抜けたいのだ。
「後もう少しで山を抜けます。それまで大丈夫ですか!」
「今のところは大丈夫だ、動きが遅くなったし中には入れないだろう」
幾分冷静さを取り戻した健二老人が返事をした。子どもは床に座り込み、杏子さんは窮屈そうに座席に割り込み、身を屈めるようにしてアメーバを見ている。
「まるで粘菌のようだが……」
健二老人が自信なさそうに言うと、
「粘菌て何なの? 私たちを狙ったりするの?」
祐子が苛立ったような口調で訊いた。
「本で読んだだけだから分からんが、巨大なアメーバー生物のことだ。藪の中でよく見かけるらしいが、まさか動くとは思わないから素人は見過ごすと書いてあった。確か単細胞生物で群体を形成するとか……普段は乾燥状態で地面に張り付いて、雨が降ると膨張するらしい。それに粘菌には情報処理能力があると書いてあった」
健二老人はアメーバー生物を見ながら言った。
「で、どうすればいいの?」
祐子に訊かれると、
「それは……」
と、黙り込んでしまった。もし粘菌とかいう生き物だったとしても、間違いなくトカゲ野郎から出されたものだし、そんなものが安全な訳がない。
「少しずつ私たちの方に動いているわ、分かるのよ、私たちの場所が分かるのよ」
杏子さんの声は泣きそうだ。
「大丈夫だ、心配するな、中には入れん」
健二老人の声だが、少し動揺しているように聞こえた。
「もう少しでドアのところに届きますよ、それに……少し大きくなってませんか?」
遠藤さんが後ろを振り向いて言った。まだ道は狭く山道は続く。俺はアクセルを少し踏み込んだ。一刻も早く安全なところまで車を走らせ、アメーバーを何とかしたい。
「謙太、早くしないとドアを開けられなくなる!」
祐子が俺を急かすように言った。
ヘッドライトの先に少し動くものが見え、ハンドルを握る手にブルッと身体の震えが伝わった。
この道の幅では乗り越えていくしかないが、もしあの先に沢山いたら……車は乗り上げてスリップしてしまうかも知れない。そう思うと右足はアクセルペダルから離れて車のスピードが落ちた。
間違いない、赤黒い斑模様が見えた。黄色い目がヘッドライトの光を反射し、あの見下したような感じが伝わる。まるで轢かれることを承知しているようだ。轢きたくない、そう思っても十メートルほどの距離しかなかった。
遠藤さんも気が付き、ダッシュボードに両手を乗せたまま身構えている。車は自転車程の速さになり、トカゲ野郎が車の下に潜り込んだかと思うと、お尻がグワンと持ち上がり嫌な感じで元に戻った。
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