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第一章(十三) [小説<十九歳の呪い>]

            第一章(十三)

 祈祷師がお袋を見ながら尋ねると、お袋は黙って頷いた。何度か読み返し、また表書きを眺め、そしてまた読み返している。祈祷師の表情を見ていると、読み返す度に表情が硬くなり、時々大きく息を吐いている。そして天井を見上げ、また書類に目を落とした。何か重大な秘密が記されていることは見ていてわかる。お袋は祈祷師の視線の先を覗き込むようにして見ている。
 俺は祈祷師の身体から発散される張り詰めたものから逃れるように窓の外に目を向けた。工事用の目隠しが外され、その青いシートが風に揺れている。そして、その向こうに橫井戸の暗い穴が見える。祈祷師には言わなかったが、この家の居心地の悪さはあの橫井戸があるからだと思っていた。だから早く家を出て自立したかったし、この家に帰るのを躊躇っていたんだと思う。昨夜風呂に入ったときの気持ち悪さを思い出した。目隠しがあって黒い穴は見えなかったが、頭の隅には、黒い口を開けて待ちかまえる橫井戸があった。
 祈祷師は書類を閉じてテーブルの上に置き、少し怯えたような視線で辺りを見廻した。
何かを警戒しているように見える。祈祷師は俺にはわからない何かを感じ続けているのだろう。
「恐ろしいことです。大変申し上げにくいことが書いてあります。よろしいですね」
「はい、お願いします」
 お袋が答えた。
「手短にお話しします。この文書は、最初に犠牲になられた清太郎さんの父親が亡くなる間際に、次の当主である次男に話されたことが記されています。書いたのはその次男の方です」
 祈祷師はもう一度辺りを見廻すと、文書を手に取り、今の言葉に置き換えて読み始めた。
 
「親父様は臨終の床で次のように私に話しました。このことは誰にも言わずに死のうと思ったが、それでは大きな後悔を残したまま旅立つことになる。わしと、お前の兄である清太郎は大きな罪を犯した。お前の兄の死に様を見ればその罪の大きさがわかるだろう。わしもこんな死に様を晒すことになった。自分の愚かさを思うと無念でならない。
 あれは大嵐の夜だった。夜中に木戸を叩く音に起こされた。お前と母親は親戚に出かけていない夜のことだ。木戸を開けると、臨月の女が小さな女の子の手を引いて立っていた。土砂崩れに巻き込まれ、全身泥まみれで震えていた。父親の姿は見えなかった。どこかではぐれたか、死んだのだろうと思った。牛小屋の隅でいいから貸して欲しい頼まれたが、見ると、里の者ではなく山の者だとわかった。屋敷内で山の者に子どもを産ませるわけにはいかず、橫井戸を貸した。橫井戸に蝋燭を灯しむしろを敷き、清太郎にお湯を沸かして使わせるように言った。雨風は激しく戸を叩き、寝る前に様子を見てやろうと橫井戸に行くと、蝋燭に浮かび上がるように清太郎が立っていた。わしに気がついて振り返った顔は今でも忘れられない。あれは清太郎ではない、悪鬼が乗り移ったのだ。小さな女の子は、悪鬼が手に持った鎌で喉を真一文字に切られていた。臨月の女は肌を露わにされ、同じように首を切られていた。わしはその場に座り込んで言葉も出なかった。清太郎は女を見下ろして言った。〈山のもんは虫けらじゃ、わしに殺されて幸せじゃと思え〉
 女は首から吹き出る血を押さえながら言った。
〈忘れるで……ない……〉
 これが女の最後の言葉だった。言い終わる前に清太郎は心臓へ鎌を突き立てた。わしは何もできなかった。清太郎は死んだ女の腹を切り裂き、中から赤子を取りだした。清太郎は赤子の首を切り裂いたが、わしは確かに赤子の泣き声を聞いた。あの声が耳にこびりついて離れない。清太郎はあの時から気狂いした。わしは身体を震わせながら、朝までかかって橫井戸の中に穴を堀り葬った。気づいた者は誰もいなかった。橫井戸の祠はわしが祀った。だからあの祠のことは誰も知らない。後を継ぐ者だけにこれだけは教えておく。何があろうと朝晩絶やさず弔うことを忘れるな。報いは必ず来る。忘れるな」


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