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幻覚2 [小説 < ブレインハッカー >]

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幻覚(2) 

 三浦伸也は地方の高校を出ると何も考えず今の会社に就職した。自分の就職については成り行き任せでいい加減だったが、大学進学については、担任の薦めがあったにも関らず、無意味だとはねつけ、進学する友人を能無しとけなした。大学で学べることなどたかが知れているし、学問は独学で十分出来ると考えていたからだ。しかし、実社会に出てみると能力以前に大卒と高卒の学歴の差は歴然とし、こんな当たり前のことが何故わからなかったのかと思った。だがそんなことの為に大学に行こうとは思わないし、自分には別の方法があると考え、無味乾燥な毎日に耐えていた。仕事は過ぎ去る時間を待ち望むだけのもの、精神を蝕む緩慢な拷問でしかなかった。
 数年勤めている先輩達の話題は車と女、その話題に興じている男達は生き生きしているが、去年もその前の年も話していることは何一つ変わっていないように思われた。余計なことを考えないことが、単調な仕事に耐え続ける賢い処世術なのだろうか。伸也には全く別の人種のように思えた。数年経つと自分もあのようになるのかと思うと、益々その男達から遠ざかっていった。
 伸也の暮らす六畳二間のアパートは会社から一時間ほどの多摩市にある。先輩達のように苦痛から逃れるための手段も持たず、ひたすら会社とアパートの往復を繰り返し、時々パチンコや映画に行ったりする程度であった。生活を楽しむ術は下手で、真面目な性格は、苦痛や悩みを他のことで紛らわそうとすることを許さなかった。目指す方向性のない転職は無意味に思え、耐えることばかりの生活は、焦燥感を日に日に増大していった。
 近頃は耐えることも限界に近くなり、欠勤や遅刻が増え、ライントラブルも再三起こすようになった。欠勤や遅刻については自分の意志であったが、ラインのことは今日のように全く身に覚えがなかった。勤務時間が終わると杉田係長が、
「話があるから事務所に寄ってくれ」
 と言って肩をポンと叩いて行った。
伸也にはどんな話か十分わかっていた。杉田係長はこの間、二十年の永年勤続で社長から表彰され、社長と握手をしている写真を額に入れて伸也に見せたのだった。伸也は反発を感じるだけで、その後も勤務態度は一向に変わっていなかった。∧社長の握手に騙されている人間の言うことなど聞くものか∨と思っていたのだ。
 事務所は入社式のときに入って以来二度目だった。係長は隅のソファーに腰を下ろしていたが、伸也を見ると手招きして呼んだ。
「三浦君、今日は君の考えを聞きたいんだ、いいかい」
 伸也は、
「はい」
 とだけ返事をすると黙った。
「君は他の社員に比べると欠勤や遅刻が多いようだけど、もう少しまともに仕事をしてもらわないと困るよ。君の尻拭いをするのは私なんだからね。これからはまともにできるかい」
 係長はこれが最後とでもいうようにキッパリした口調で言った。
「まともってどんなことですか」
 伸也は小さな声で無愛想に質問した。係長は反抗的な態度に表情を堅くして、
「人と同じようにすることだよ、君は人のしていることが出来ないのか」
 と、大きな声を出した。
伸也は少し間をおくと、
「出来ません」
 と、係長の苛立ちを知りながら冷静に答えた。
「君は自分の言っていることがわかっているのか、そんな考えでは会社は困るんだよ、もう帰っていい。よく考えろ」
 係長はそう言うと荒々しく席を立ち、伸也を残して行った。入れ替わるように若い女性の事務員が、出ていく係長を振り返りながら二人分のコーヒーを持って来た。先輩達の休憩時間の雑談に時々出てくる名前の女の子だった。彼らのマドンナのような存在で、名前は岡村由美という。岩木からも聞かされた名前だったが、その話とは、彼女の兄は暴力団の若頭で、彼女の恋人が刺されたとか、彼女にはパトロンがいて、やはり暴力団に関係があって、彼女にうかつに手を出すと危ないという話だった。伸也は興味のない風を装っていたが、実のところは少なからず興味を持っていた。
 由美は立ち上がりかけている伸也を見ると、
「あらっ」
 と言って辺りを見回したが、取りあえず伸也の前と係長のいたところにコーヒーを置き、
「どうぞ召し上がってください」
と言った。係長を怒らせたことは何とも思わなかったが、一人残されたソファーは居心地が悪く、その上目の前にあの岡村由美がいるのである。伸也は体が熱くなるのを感じたが、由美と視線が合った瞬間、
「すみません、係長は帰ったのでこのコーヒー一緒に飲んでもらえますか」
 と、言ってしまった。
由美は、
「え?私ですか」
 とくりくりした目を一段と丸くして応えると、もう一度あたりを見回し、
「それじゃあ、いただきます。勤務時間は終わったし」
 と言って、笑顔を見せた。
伸也は由美の笑顔を見ると、みるみる緊張感のほどけていくのを感じた。初対面の伸也に対して何の警戒心も持っていないことが伝わってくるのだった。自分の口から出た言葉にうろたえている伸也の心の中を見透かされてしまったのだろうか。
由美はコーヒーに口をつけると、
「美味しくないでしょう、インスタントだから」
 と言ってまた、くすっと笑った。伸也もつられて笑いながら、
「じゃあ、一緒においしいコーヒー飲みに行きませんか」
と誘った。
「え、私と一緒に」
 と言うと、しばらく天井を見上げるようにしていたが、
「いいわ、でも私まだあなたの名前も知らないんですよ、もしかしたら、ナンパされてるのかしら」
 と、伸也の目を覗き込むようにした。
伸也は、由美の透明感のある視線を真正面から受け止めると、少し考える振りをしてから、「たぶん」
 と答えた。
「たぶん?」
 由美はもう一度目を丸くすると、くすっと笑った。
「あ、製造三課の三浦伸也、三年目かな、君は去年入社した岡村由美さんだよね」
「私の名前知ってるんですか?」
「勿論知ってるよ、タイムカードが隣なの知らない?」
「隣?じゃあ、あのカードが三浦さんなの?ほとんど赤インクでしょう」
 由美は間違えて押そうとした赤インクだらけのタイムカードを思い出した。
「俺のカードの秘密を知ってるの」
「事務所では有名人よ三浦さん。殆ど毎日遅刻で赤インクの行列だもの。後二ヶ月もつかどうか賭けてるわよ」
「君は賭けたの」
「もちろんよ、やめる方に。三浦さんも賭ける、私に………」
 由美はそう言うとまた笑った。
「君のカードも赤だらけなの」
「悪いけど、これでも無遅刻無欠勤なの、でも辞めるつもりよ」
 由美は顔を伸也に近づけて小声で言った。伸也は距離を置いて見る由美の笑顔が、すぐ側で見ると違って見え、岩木から聞いた由美の噂が何やら妙に本当らしく思えてきた。
二人が顔を寄せて小声で話しているのを誰かが見つけたらしく、
「岡村君」
 と、苛立つように呼ぶ声がする。
「係長だわ、じゃあ、明日の今頃でいいかしら、駅前のサイモンで」
 と、由美は軽やかに言うと立ち上がった。
伸也は、
「いいよ」
 と言うと、一気に冷めたコーヒーを飲み干した。


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