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ブレインハッカー 第2章 酒呑童子1 [小説 < ブレインハッカー >]

 第2章 酒呑童子(1)

 潮見博之は八王子にある大学に勤め今年で五十歳になる。自室のマンションはキャンパスから歩いて十分程のところにある。世田谷の自宅から通勤しようと思えば可能だが、不便さを理由に単身赴任生活をしている。家庭的な男でもなく、マンションを買った頃はつき合っている女性も居て何かと都合が良かったのだ。妻も結婚して十数年経つとそういう潮見にはすっかり興味を無くし、八王子まで来ることは一度もなかった。今はその女性とも別れて、生活は不便だが気儘な研究生活をするには都合がいい。 
 一時は都市における民族学といったテーマで異才を発揮し注目された時期もあったが、ある浮浪者と出会ったことから何かがが変わっていった。
 
 その男、村上潤三は新宿ガード下の、今は撤去された段ボールハウスで生活していたが、それを調査のために聞き取りをしたのがきっかけだった。聞き取りと言ってもインタビューのようなものではなく、自分も段ボールを持ち歩きながら、ときには酒を酌み交わし一夜を共に過ごすこともあった。
 殆どの男、或いは女たちの浮浪の生活のきっかけは経済的な問題や、人間関係の壊失と言ったことがその背後にあった。しかしごく少数のそうではない人間がいた。浮浪することでしか生きられない人達である。
 村上潤三もその内の一人で年齢は潮見より少し上である。大学で建築学を学び、卒業後は業界では小さい方だが、急速な業績の上昇で注目されている建設会社に入社し高層建築の設計に携わっていた。都市の建築が高層化していく最も良い時代で、万事が順調であるはずだったが、思いがけない伏兵が自分の心の中に潜んでいた。
 巨大な建築物はいつの時代でも権力側の人間が造るものであり、そのために何かが犠牲となっていく。建築現場で見る反対運動など、補償金目当てぐらいにしか思っていなかったし、社が大きくなることが善で、ある程度の犠牲は当然と考えるオーナーにも違和感を感じることはなかった。
 それがある朝一変しているのである。悩んだ末とか、熟慮の結果と言うことではない。突然嫌になってしまったのだ。権力側にいることも、毎日を順風満帆に暮らしていることも、全てが色褪せ魅力のないものと感じてしまった。ただ自分をその場所に縛りつけている全てから解放したいと願うようになり、無断欠勤三日目の夜を新宿の地下街で過ごした。

 それから二十数年を流浪生活で過ごしてきた。後悔がないと言えば嘘になるが、しかしこの年になると、自分の生き方が妙に愛おしくなってきた。庭つき一戸建てと段ボールハウスにどれ程の違いがあるというのだろうか。村木にとっては大した違いは無いように思えるのだ。大会社の社長と自分にどれ程の違いがあるというのだろうか。大地の上で宇宙を見ながら死ねる自分の方がよほど幸せに思えるのである。
 
 潮見博之が出会ったのは一年前の冬だった。暖かい間は各地を転々と移動する生活だが、寒くなると都市に舞い戻り冬ごもりのような生活になる。十二月の始め頃、伊勢丹から地下街に通ずる階段の踊り場を日中の居所としていたとき、
「何をお読みですか」
 と、潮見が声をかけた。村上が顔を上げると同年輩の男が段ボールを抱えて隣にしゃがみこんだ。風体は自分と同じようだが皮膚は白く柔らかそうでかけている眼鏡はインテリと言わんばかりに見える。
「岩波の新書」
 と答えると、
「ほー、新書ですか」
 と言って覗き込むようにする。お互いに変な奴だと思いながら、二時間もすると気の合うところのあることに気づき、ついつい身の上話までするようになった。潮見が浮浪者でないことはすぐに見抜かれ素性を明かしたが、村上はそんなことなど別段気にする様子は無く却って気に入った風だった。
 それから時々酒を持っては村上の段ボールハウスを訪れるようになり仲間達を集め酒盛りをした。村上はその仲間達の中から面白い奴がいると、九旗昭彦を紹介した。小柄でほかの皆と同じように日焼けした顔をしている。年は潮見より二回り程若そうで、眼はきびきびと動き荒んだものを何一つ感じさせなかった。
「こいつは自分を鬼の子孫だって言うんですよ」
 と村上が言うと、
「鬼さんこちら、鬼さんこちら」
 と、酔っぱらった男達が面白がる。
「鬼の子孫ですか、出身は何処ですか」
 と潮見が尋ねると、
「京都北部の大江山です。うちの田舎で九旗という名字を聞けば大体みんな知ってますよ。鬼祭りでも重要な役どころは九旗家と決まっているんです」
 と言ってコップ酒を飲み干した。酔っぱらった男達は、
「鬼の面でもかぶって踊るんだろう、最後に豆粒投げられて土下座する鬼なんてかっこ悪いよな」
 と喜んでいる。潮見は気にせず、
「どうして鬼の子孫だってわかるの」
 と聞くと、
「先祖からの言い伝えです。田舎には家系図やら、そのことを証明できるものが保存してありますから」
 と答えた。
「家系図なら俺の家にもあったよな、頼朝公側近の家系だぜ、もう三十年ほどお目にかかってねえけどよ。こんなとこにいなきゃぁ、ちっとは尊敬されてたのによ」
 と顔を真っ赤にした男がわめいた。
潮見は男に、
「まぁまぁ」と酒を注ぎながら、
「証明できるモノって何ですか」
 と尋ねると、
「すみません、これは親父から話を聞いただけで見たことはないんです。代々長男しか見てはいけないことになっているんです。もちろん女は嫁に出るから駄目だし、分家する次男でも見られないんです」
 と申し訳なさそうに答えた。潮見は彼の正直そうな話しぶりに興味をそそられ、
「九旗というのは、九人のことですか」
 と尋ねた。
「ええ、そのようです。いつ頃の昔か詳しく聞いていませんが、地元の神社が出来るよりも昔のことだと思います。その頃は大和に強い権力があって、大江の人たちは服従を嫌い勇敢に戦ったと聞きました。その戦いには負けましたが九人の強者が山深く逃げ込み、以後復讐を誓い合う意味で全員が九旗と名乗るようになったようです。大江地方にとって、彼らは征服された恨みを晴らし自由を守る英雄豪傑でも、支配者にとっては権力を脅かす大悪党なんです。都の武勇者が血眼になってその九人を追いましたが、巧みに移動しながら逃亡生活を続け、ときには宮中を襲い人々を震え上がらせました。その間のことは逸話として残っていますが、都で作られた話は大江の連中を醜い鬼と呼びました。地元に残る伝説の鬼は気は優しくて力持ちなんです。それでも次第に追いつめられて、その後は六人まで捕まえられてしまいました。六人は処刑されることなく三人は大江山に残され、残りの三人は紀州に移されました。理由はよく分かりませんが、その地方を治める為に利用されたようです。お祭りの役まわりもそのことと関係があると聞きました。古文書では後の三人は逃亡中に殺されたと記録されていますが、実は生きていて密かに連絡を取り合っていたそうです。勿論九旗は名乗っていませんが、その中に都が最も恐れていた首領がいたといぅことです。今では大江に分家で増えた九旗家が十三軒あります。本家筋の三軒も健在です」

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