晴れ着 [コワイ話]
この話を書こうか随分迷いました。決して面白半分に書く内容ではないからです。また、コワイ話しと言うジャンル分けをしましたが、決して怖くはありません。
京都に住む姉の話です。つい先日聞きました。
姉の趣味は多彩ですが、その一つにパッチパークがあります。色々なデザインの布地を縫い合わせて作ります。
ある古着屋に、布地を求めて店内を物色していると、かなり古い晴れ着を見つけました。7~8歳くらいの女の子の晴れ着です。
白い生地に赤い模様が華やかです。姉はそのデザインが気に入り購入を決めましたが、店主が、
「この晴れ着は上下が別の布地で作られていますが、よろしいですか?」
と、教えてくれたそうです。
よく見ると、丁度お腹の辺りに縫い目があり、よく似た色とデザインだけど、全く別の生地が2枚繋ぎ合わせてあります。
和服でそのような縫製はあり得ません。
しかし姉は、パッチワークに使うのだから、かえってその方が都合がよいと考え購入しました。
家に持ち帰り、布地を入れた段ボール箱を開けた瞬間、今まで経験したことがないほどの寒気を感じたと話しました。
いる………背筋の凍りつきそうな存在感だったそうです。
もう、晴れ着を段ボールの中にしまい込んだり捨てることは恐ろしくて出来なくなったと言いました。
震えながらハンガーに吊したけれど、とてもそのままじゃ恐ろしくて堪らない。
姉の家は代々日蓮宗で、家には、住職が首からかけるタスキのような仏衣がある。
それを晴れ着の上からかけて、すぐにお寺の住職に相談したそうです。
すると住職は、実はこの寺は、子どもの晴れ着を供養する風習があったのだと話してくれた。
今では無くなったが、昔は子どもを身ごもったり生まれると、小さな晴れ着を用意して祝ったらしい。その晴れ着が何かの理由で必要なくなると、寺に持ち込んで供養したという。だから仏間には沢山の晴れ着がつり下げられていたという。
住職は姉の話を聞いて、それも何かの縁でしょう、すぐに供養しましょうと言ってくれた。
姉は少し落ち着き、考える余裕が出来た。
子どもの晴れ着が2枚の生地で縫われ、へそのところに真横に縫い目があるというのは尋常ではない。
かなり古いものでもあり、きっと、貧しさ故に、それが精一杯の子どもに対する想いだったのだろうと感じたそうです。
供養して貰うのはもう少し後でいい。
きっと、自分のところに来た理由があるはず。
だったら、怖いけど、もう少し自分のところにおいてから供養して貰おうと決めたそうです。
先日、姉の家に行き、ハンガーに吊され、タスキを掛けられた晴れ着を見ました。
明らかにわかる、真ん中の縫い目。真っ赤な模様が鮮やかでした。
でも、思い出すだけで背中がゾクッとします。
私が家に帰ってから、「来るな!」と、心の中で強く念じたのは冗談ではありませんでした。
目に見えないモノの存在を感じることは時々あります。
それは、信じるとか、信じないではなくて、感じるものです。
そしてそれは、悪いモノばかりではなくて、善いモノの方が圧倒的に多いように思います。
だけど、背中あたり、風門と言うそうですが、そこら当たりに寒気を感じるときは、おそらく悪い場合かも知れません。
そんな時は、上から目線で強気が一番です。 もしくは諭してあげましょう。
なんてね・・・・
目に見えない存在は沢山います。
だれでも、そんな存在に気がつかないうちに助けられたり、守られたりしているのです。
時々は、目に見えない存在に向かって感謝してもいいかなぁ。
「今日もありがとう」 って。
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