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予兆(2) [小説<物体>]

                             予兆(2)

 目を閉じていても何となく辺りが見えるのは当たり前のようになったが、世間では超能力とか言って特別視される。勿論この事は太田と祐子以外は知らないが、しかし俺の気になる変化はもっと別のところにある。表面的なことではなく身体の奥深いところが地響きを立てて覚醒し始めたようで、時々圧倒的な力の存在を感じることがあるのだ。それは幽霊とか魂とかの類ではない全く別のもので、もっと大切なもののような気がする。たぶんそれに相当する語彙は無いのかも知れないが、敢えて言うならば生気とでも表現すればいいのだろうか。人が生きていくために最も必要なもので、気づかないが誰しもこれを日々吸収して生きている。一緒に暮らし始めて分かったことだが、マー君はこの生気をとても上手に吸収していて無駄がない。だから水だけで生きられるのだと思う。

 まるで漢時代の仙人のようである。日本にも仙術なるものが伝わり、数名の仙術者が名前を残している。彼らが実際にどのような暮らしをしていたのかは分からないが、マー君を見ていると何も食さずに暮らすことが可能ではないかと思える。或いは彼らも物体から生まれたのかも知れないが。

 俺が感じ始めたのはこの生気ではないかと思う。自然の豊かな場所に行くと何となくいい気分になったり、清々しい気持ちになったりするものだが、それが桁違いなのだ。生気が身体の芯で渦を巻き、竜巻のように身体の中を駆けめぐると頭の方から恐ろしいほどの勢いで飛び出していく。飛び出した生気は益々渦を大きくしながら周囲の草木にシャワーのように降り注ぎまた俺の身体の中を通り抜ける。そのループは更に大きくなり地中と天空を貫き通すように感じるのだ。

 この荒々しくて怒濤のような生気を感じたのは二日前の夜で、雨の降る公園に散歩に行った時だった。雨の降る夜の公園は不気味さと得体の知れないモノの存在を肌で感じやすく、日中とは全く違った顔を見せてくれる。およそ清々しさとは対極にあるのだが、その日だけは違っていた。先の見通せない暗闇にも、空を覆い尽くすような樹木が醸し出す暗黙の圧力にも不気味さを感じることはなく、それを遙かに超える何かを感じたのだ。公園をすっぽり包み込むようなサムシング。胸一杯にその空気を吸い込み吐き出そうとしたときにやって来たのだ。頭頂部に軽い痺れを残しながら最初の竜巻が飛び出し、次から次へと繰り返し通り過ぎた。足下がふらつきバランスを取ろうと力を入れると目の前にはいつもの不気味な闇が口を開けていた。
 
 この日から俺の感覚が妙に研ぎ澄まされたように思う。怒濤のような感じはいつも感じるわけではなく、色々な条件が整わないと味わうことは出来ないようだ。しかし微細な生気の流れや動きは、ちょうど頬に当たる風を感じるようであったり、産毛の僅かな揺れを感じる皮膚感覚のように分かることがある。一口に生気と言っても人それぞれで、その違いが分かったのは今日のことだ。それはあまりにも強烈すぎて最初は何が起ころうとしているのか理解できなかった。それどころかそれが生気だと分かるまでにずいぶん時間がかかったのだ。

 

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