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第1章02 [メロディー・ガルドーに誘われて]

 祐介がタバコを吸い始めた頃は、喫煙席を設けている店が多かったが、最近はどんな店であれ、店内でタバコを吸える店は皆無と言って良い。それどころか都内では屋外でも喫煙場所が見当たらないのだ。それを思うとこの店のシステムは時代に逆行しているとしか思えない。自分は喫煙という餌に食いついた獲物のようだ。確かに好きな音楽を聴きながらタバコをくゆらせることができるのは極上の空間と言える。珈琲一杯が五百円少々でこんな気分にさせて貰えるなら毎日通っても構わない。
 祐介のこんな気持ちをわかってくれる友人は一人もいないだろう。周辺でタバコを嗜んでいる人はいないからだ。彼女と付き合っていた時期もあったが、室内で吸わせて貰えないし、店に入れば禁煙席に行く。タバコが吸えないとイライラが募ってくる。そして小さなケンカが勃発する。そんなことを繰り返すうちに、取り返しのつかないケンカに発展して別れてしまったのだ。それでも祐介はタバコをやめない。最近ではタバコを吸っていると変な眼差しで見られることがある。時代から取り残された可哀想な人たちと思われているのだろう。あるいは、健康に悪いのがわかっているのに止められない、意志と頭の弱い人たちと思われているのかも知れない。
 店主が珈琲を持ってきてくれた。カップの隣に小さな紙片を置いていった。リクエストカードと自筆で書いてある。先ほどから流れているのはずっと同じで、メロディー・ガルドーだ。アルバムを最後まで聴かせるようだ。祐介の好みはやや古めのジャズで、マイルスとかコルトレーンが好きだが、マスターの選択に任せてみようと思う。客は俺一人だから、きっと俺の雰囲気に合わせて次のアルバムを選んでくれるかも知れない。
 大きめのカップに入った珈琲を少量口の中に流し込んだが、まぁ普通の珈琲だ。タバコと珈琲を交互に味わい、煙の行方を眺めながら時々店主を見たが、下を向いて次のアルバムを選んでいるように見える。
 ドアがバタンと音を立てて開いて女がうつむきながら入ってきた。少しふらついているように見える。背中にリュックを背負っている。慣れた様子で祐介のいる側の端に座ると、カウンターに向かって軽く手を挙げた。店主は少し顔を向けただけですぐに手元に視線を戻した。祐介はさり気なく女を観察しながら煙を吐いた。酒の匂いがタバコの香りと入れ替わるように漂ってきた。左右のコーナー席に座っているので、位置的には真横になる。視野の端で観察するのが精一杯だ。祐介はこの店は初めてだが、横の女は常連のような振る舞いをしているから、少々気後れしてしまう。女が下を向いているときにさり気なく観察すると、今年三十二歳の祐介よりは年下に見える。あまり化粧っ気はなく、 ジーンズに長袖Tシャツにパーカーという服装は、派手な女の多い歌舞伎町周辺では逆に浮いて見えるかも知れない。薄暗い室内で、しかも下を向いている時の観察だから当てにならないが、少し美形に思えるのは自分の期待値も加算されていると祐介は思った。

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