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第1章03 [メロディー・ガルドーに誘われて]

 しばらくして店主が祐介と同じカップを女のテーブルに置いたが、女は下を向いたまま動かない。どうやら壁に身体を預けて眠ってしまったようだ。カップに触れることなく、僅かに肩が上下に動いている。祐介は眠っていることを確信すると、遠慮なく女を観察した。最初に見たときと印象はそれほど変わらない。ややぽっちゃり体型で、ジーンズが窮屈そうだ。
 次のアルバムになったが、また女性ボーカルのようだ。カウンターまでジャケットを見に行くと、セシリア・ノービーという知らない歌手だった。店主の好みなのか、常連の女か、それとも祐介の為なのかわからないが気に入った。祐介も女のように壁に身体を預けながら目を閉じて聴いた。巨大なスピーカーからウッドベーズの音が心地よく響いてくる。眼を開ければそこに生で演奏するジャズメンがいるようだ。目を開けたい衝動を感じながら、切なさの混じったボーカルの歌声が身体を通っていくと、心の中の何かが緩やかに揺さぶられた。
 次の曲が始まる前の数秒の静寂も音楽の一部のように味わっていると、女の方から小さな声が聞こえ反射的に顔を向けた。女の頬を涙が伝い顔を歪めている。眠っているのか、目覚めて泣いているのかわからない。店主の視線を感じてカウンターを見ると店主が小さく顔を横に二度ほど動かした。祐介は小さくうなずき珈琲を口に運んだ。店主がまた曲を変えて祐介を見た。どうだ、いい曲だろうと言うつもりなのか、祐介の関心を女から自分の選んだ曲に向けたいのかわからない。どちらにしても、店主は女のことは放っておいて音楽を楽しめて言っているのだろう。つまりはなんの心配もないということだ。
 祐介はアルバムが気になりカウンターまで見に行った。やはり祐介の知らないボーカルで、エバ・キャシディと読めたが知らない名前だ。祐介が入ってからは女性ボーカルばかりで、ジャズらしいジャズが一曲もかからない。全部判で押したようにスローで、ウッドベースが効果的に響いてくるような曲ばかりだ。嫌いではないが、少しパンチの効いたサックスやピアノ曲が聴きたいところだ。
 祐介が席に戻ろうとすると、
「悪いね、いつもなんだ。この後少し賑やかになったら落ち着くはずだ。まぁ、あんまり気にしないでくれ」
 店主はそう言うと肩をすくめて笑った。祐介は特に何も言わず、さっきのように小さくうなずくと席に戻った。時折女の方を見るが、頬を伝う涙は止まらず顎の先端からTシャツの上に落ちている。眉間に皺を寄せ口角を下げた顔は、見ている自分も何やら心を締め付けられるようだ。女の感情が伝染したのか、それともエバ・キャシディのせいなのかわからない。祐介はただその感情に身を任せて、表現しようのない切なさを味わった。それが心地よくもある。営業時間は五時までなので、最後までいたって構わない。祐介は切なさと朝までの居場所を確保できた安心感に包まれながら眠気に襲われた。

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