第2章 その(20) [小説 < ツリー >]
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第2章 その(20)
婆さんは言いかけたが、そこで黙り込んだ。思い出そうとしているのか、話すのをためらっているのか分からないが、顔の皺は思い詰めたような表情に見える。
「かわれってはっきり言われたよ。黒松にね。耳に聞こえるんじゃないよ、だけど、それがどんな意味かすぐ分かったよ。村人全員の人数と同じ数の黒松が入れ替われという意味だった。
黒松が人間の身体に入って暮らし、人間は黒松になって森で一生を過ごすということだよ。そんなことはどう考えてもあり得ないと思うだろう、でもそれは大間違いだね。命ってもんはね、もっと自由に身体を出たり入ったり出来るもんなんだよ、出来ないって思い込んでるのは人間だけだね」
そこまで話すと婆さんは言葉を切った。疲れたように見える。
「その続きは俺が話すよ、いいだろうおきぬさん」
婆さんが黙って頷くと片岡さんが話し始めた。
「ほら、この前話しただろう、植物にも感情に似た働きがあるって。人間の細胞も植物の細胞もたいして違いはないんだよ、葉緑体を持っていることと、細胞膜が固いか柔らかいかの違いくらいだよ。
あとはほとんど同じで、植物細胞にはミトコンドリアもリボソームもあるし、もちろん遺伝子もあるよ。それに細胞には人間の五感に相当する働きもあるんだよ。だから黒松が喜怒哀楽を感じているとしても不思議ではないんだよ。ただその表現方法はないけどね。ストレスも感じる事が出来て、それが大きいと枯れたり病気に弱くなったりするんだよ。
これはね、樹医として沢山の巨木を見てきたからよくわかるよ。長年一緒に連れ添うように生きてきた黒松の断末魔を聞いてね、その残った黒松が憎悪を抱いたとしても不思議じゃないと思う。闇雲に若者の身体を奪おうとしたら、若者は気が狂ったように身体を壊してしまった。入れ物が壊れたんじゃどうしようもないからね、
それで<かわれ>ってことになるんだね。心の中で<うん>と思った瞬間にかわってしまうのさ。替わられた人間はあらゆる欲の虜になってしまい、植物に出来なかったことを貪るように求める人間が出来てしまう。
お祓いというのは命と命の対決でね、命の強い方が勝る。多くの黒松は爺さんの持つ命の迫力に負けて引き下がったけどね、何本かの立派な奴は引き下がらなかった。
婆さんは自分の両目を突き身体を壊して逃れたんだよ。爺さんの息子、俺の親父だがね、親父は爺さんに三日三晩木に吊されて半死半生の目に遭わされた。
死にかけた入れ物に入る奴はいなくて助かった。だが、何人かの魅入られた若者は結局<うん>と思ってしまったね。祐介君のような感じだった。
その若者の人生はひどいもんだったよ。捕まるまで強姦やら理解の出来ない殺人を繰り返した。そんな人間が村の中にいてごらん、一人じゃないんだよ、次々に若者が変になってしまう。その村は十年ほどで誰も住まなくなった。今は黒松だけが残っているよ。
その黒松に、若者の命が宿っているかはわからない。日本全国行ってみるとね、豊かな森を持っていた村が大木を片っ端から伐採して売り飛ばし、村は一時的に裕福になる。だけど、長い目で見ると、そんな村は長続きしないね。今まで無かったような犯罪が増え、若者の自殺も増えて、だんだん荒廃してくるんだよ。きっと、隣村と同じようなところがあるように思うね。おきぬさん、こんな話でよかったかい?」
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