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第6章 その(11) [小説 < ツリー >]

食事と性事 (集英社文庫) (文庫)  本多 勝一 (著)

                              第6章 その(11)

 真言の繰り返しは次第に熱を帯び、部屋全体を包む空気が変わってくる。その声のリズムに何かが触発され、支配されてくるように感じる。加代子は俯いたまましっかり口を閉じているが、耳を塞ぐことは出来ない。どんなに抵抗しても、耳から入りあるいは皮膚を通してそのリズムが何かを揺さぶり、脳細胞のどこかが麻痺し快感にも似た喜びを感じ始めている。

 三十分もすると加代子の口は僅かに動き始め、意味の判らない真言を一緒に唱え始めた。俺は懸命に止めさせようとしたが加代子の心には届いていない。もう俺の存在すら忘れているように思える。

 加代子の声が源三郎の耳に届いたのだろうか、加代子が唱え始めるとうやうやしく祭壇に頭を下げると真言を終えた。皆の方を向き直ると、
「それでは修養の膳を始めましょう」
 と、箸を取り食べ始めた。

 加代子は無言のまま源三郎と同じように食べ始めたが、真言を唱える前の頑なな気持や、不安感が消えて無くなっている。俺は加代子の中で一人取り残されたような気がする。まるで洗脳されてしまったみたいだ。一体先ほどの真言には何の意味があるのだろう、意味が判らなくても唱えるだけで洗脳されてしまうのだろうか。真言のリズムは感覚的な部分を通して何かをコントロールしてしまうようだ。

 真言と言うからには仏教だと思うが、この食卓の上には魚介類や肉類が所狭しと並んでいる。精進料理などとはほど遠い。普通の宴会と唯一違うところは酒類が無いことだけである。しかし、先ほどの真言は酒以上に人の何かを痺れさせる力があった。

 加代子は黙々と食べ続け、食べること以外に何にも興味を感じていないように思える。不安感も恐怖もなく、ただ胃袋を充足させようとしている。あの気味悪いどくろや、身体を清めたときの屈辱感はどこに消えてしまったのだろう。

 俺の部屋で料理を食べるときの加代子のようだ。身体の中あるスイッチが押されている。肉を口に入れる度に身体の芯が疼いているのが伝わってくる。その姿を源三郎が横目で確かめるように見ている。
 賑やかな宴というのではなく、信者も黙々と食べている。その誰もが加代子の様子を時々見ながら、安心したようにまた黙々と箸を動かしている。まるで食べ物の中に何か薬物でも盛られているような感じさえする。

 食べるという行為は命に直結する。食べることと性行為で、何もない空間から命が舞い降り宿る。加代子の身体はそのことをよくわかっているのだろう。このままでは加代子は源三郎の思いのままである。
 源三郎が俺の身体を操っていることは理解していても、現実に加代子の横で一緒に食べているのは俺なのだ。加代子の目には源三郎ではなく俺として写っているのかも知れない。源三郎が喋れば、俺でないことを意識させられるだろうが、黙っていると本当の俺のように思えてしまうのだろう。加代子の中では、そんな違いはもうどうでもよくなっているのかも知れない。このままでは二根交合の儀が始まってしまう。加代子は何をさせられてしまうのだろうか。

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