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第2章6 [メロディー・ガルドーに誘われて]

 広い庭に取り残された祐介は目を閉じ、思い出した記憶を辿りながら裏山を登った。決まった道はないが、獣道を辿るように木々を掴んで急な斜面を登るのだ。裏山の入り口は確か、大きな岩があって、その岩を掴んで最初の一歩を踏み入れるのだ。そこから頂上までほぼ一直線に進むことになる。大岩のところはありありと思い出せたが、そこから先は思い出せるほど目立つものはなく、登山シミュレーションはすこし進むと記憶が霞んであっけなく終わってしまった。
 祐介は暮れかけた新宿の、高層ビルの隙間から届く西日を身体に浴びながら、山頂から遠くに見える鉄橋を思い浮かべた。その景色は鮮明に思い描くことができるのに、一緒にいたはずの慎太郎君の顔がどうしても思い出せない。あともう少しなのに、最後のパーツが気持ちよく収まらない。そして霞の向こうに消えてしまう。もどかしさを味わいながら家の中に入ると、紗羅が髪の毛を拭きながらやって来た。
「お母さんが夕方来るんだけど、それまでいてくれる、いいよね」
「いいけど、どうして?」
「面白そうだから行くって言ってたわ」
「面白そうって、何が?」
「祐介さんに決まってるでしょ」
「俺を見物に来るってこと? 珍獣扱いだなぁ」
 祐介は困ったような顔で返事をしながらシャワーを浴びに行った。
 なんだか妙な感じになってきた。昨日まで何の関わりもなかった人が、突然祐介の懐に土足で踏み込んでくるような感じなのだ。だけどそれは不愉快ではなく、簡単に受け入れてしまっている。強引に扉を開けられた気はしないし、祐介が扉を全開にしているわけでもない。たまたま鍵穴が合ってしまったような感じなのだ。こんな時、田舎の祖母なら、何かの因縁よと言うに違いない。
 祐介が風呂から出て、何か聴こうとブルーノートの盤を物色していると、玄関の方から物音と声が同時に聞こえた。
「入るわよ!」
 振り返ると、買い物袋を重そうに持った女の人が上がり込んで来た。
「あ、あなたが谷野祐介さんね、紗羅の母です。来ちゃいました、よろしくね」
 そう言いながら買い物袋をテーブルの上に乗せた。
「ケーキ買ってきたわよ」
 お母さんがキッチンに大きな声で言った。
「ありがとう、珈琲入れるから待っててね」
 紗羅の大きな声がキッチンから響く。
 他人の家なのに何の違和感もなく、この家の家族のような気がしてきた。この不思議さは紗羅なのか、お母さんなのか、それともこの家なのか。少なくとも祐介にそんなものはない。
「祐介さん、悪いけどそこの戸棚からケーキ用の皿を出してちょうだいね」
 お母さんは祐介の顔も見ずに言った。戸棚と言われて周りを見たが見当たらない。キッチンを覗くと隅の方に確かに戸棚があって食器類が入っている。紗羅は珈琲を淹れることに集中しているようだ。祐介が棚の中から金の縁取りのある皿を三枚取りだしテーブルに出すと、お母さんは手際よくケーキを取り分け、
「どれが好きかしら?」
 と祐介の顔を見て訊いた。
「それじゃ、このモンブランにします」
 と答えると、
「予想通りね」
 と言って笑った。娘の年齢からすると五十近いはずだが、とても若く見える。三十代でも通りそうだ。紗羅も珈琲をテーブルに置き、フルーツの乗ったケーキを選んだ。
「紹介するわ、無職の谷野祐介さん、二十九歳で独身。彼女なし、夢もなしで貯蓄はあり。親と同居で、子どもの頃UFOを見たことがあるらしい。それにジャズ好きね」
 紗羅はケーキと祐介を交互に見ながら早口で言った。
「次はお母さん、山辺みち代、年齢は適当ね。友達のケーキ屋を手伝ってるわ。独身で彼氏なし、だと思うけど。趣味は料理とケーキかしら、味は一流よ。あとはね、色々こだわりがあるみたいだけど、私には理解不能ね。これでいいかしら?」
「まぁ、いいわ。そんなところね。味は一流って本当よ、モンブラン食べてね、美味しいわよ」
 お母さんは祐介にケーキを勧めた。どうやらお母さんの手作りで、友達のお店に出しているものらしい。
 祐介はすっかり二人のペースに乗せられ、モンブランを口に運んだ。確かに美味しい。食べながら思わず声を出してしまった。 
「気に入ったみたいね」
 紗羅が笑いながら言った。
「出逢ったばかりと聞いたけど、昔からの知り合いみたいね」
 みち代が訊いた。
「そうなのよ、まさかカズの家に連れてくるなんて思ってもいなかったわ。タクシーに乗って並んで座ったときに気がついたの。とんでもないことしたって。そしたら急に意識しちゃって、私の緊張感たらハンパなかったよ。こう見えても人見知りだからね。おかげで酔いが醒めちゃった。でもね、並んで座ってたら不思議なのよ、着く頃には安心しちゃったの。どうしてかしら」
 紗羅はお母さんに話していたが、最後は祐介に訊いた。
「俺は正直言うとね、ヤバイ奴らのカモにされたかも知れないと思ったけどね、妙に緊張している紗羅さんを見て俺は安心したんだ。それよりも驚いたのはこの家を見たときだよ。豪邸だからね、とんでもないところに来たと思ったよ」
「そうね、カズは見かけによらずお坊ちゃまなのよ。おじいさんは国会議員だったし、お父さんは大学病院の医者だったの。この家はおじいさんが建てた家らしいわ。年季が入っているでしょう。ちゃんと建てた家はね、年月が価値を高める……はずだけど、カズはきちんとメンテナンスしないからダメね。だからこの立派な家もカズの代でおしまいかしら」
 みち代は値踏みするように天井を見上げた。
「この家を継ぐ人はいないんですか?」
 祐介が訊いた。

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