第2章 その(3) [小説 < ツリー >]
MiMiDAS 21世紀の耳かき ミミダス レッドキャップ GS-2000RC(Mサイズ)
第2章 その(3)
「どうすればいいかしら」と、美緒が聞くと、
「そうだな、とにかく桜の木の側に行かないこと、それに尽きる。だけど、行ってしまうだろうね」
「それじゃ、答えになってないわ」と、美緒は俺の顔を見て不満そうに言った。
美緒は、俺も同じように考え感じていると思っているようだ。そんなバカな、と言いたいが、美緒の表情を見るとその言葉が消えてしまう。だまそうとしているのか、本気で心配しているのか分からなくなってくる。
「それじゃ、切り倒してしまえばいいでしょう」と、俺は心にもないことを言ってしまった。あの樹齢数百年の立派な桜の木を切り倒そうなんて考えられないのに。
「そんなことをしても無駄だし、もっと恐ろしいことになるよ、あの桜の巨木の力は半端じゃないからね」
男はそう言うと、俺の心を見透かそうとするような眼光を向けた。
「さっきから言ってる桜の巨木の力って、いったい何なんですか、俺には何のことだかさっぱりなんですが、それに、俺が桜に殺されるって話もさっぱりです」
俺は、思っていることを初めて口にした。もう、高価なお守りに話が行き着くまで我慢できなくなった。
「そうか、君はまだ知らなかったのか、てっきり美緒から聞いていると思っていたよ。だったら分からなくて当然だね、誰だってこんな話を聞けば疑いたくなるさ」
男はそう言うと、やかんからお茶を注ぎ足して入れた。どう話せばいいのか迷っているようにも見える。
「どう話したって、俄に信じられる事じゃないと思うけど、巨木というのは、当然数百年という長い年月を暮らしてきた生き物で、知性はもちろんないけど、感情に似た働きはあるんだ。
感情というと、人間みたいだけど、それとは違ってもっと大雑把な感じといえばいいのかなぁ。その感情に似たものが年月を経て人間に何らかの影響を与えることがあるんだ。もちろんその逆もあるけどね、よく植物人間なんて言い方するけど、あれは人間にも、植物にも失礼な言い方だよ。
まぁ、とにかく生き物としては、人間よりも遙かに戦略的に生きていると思うね。で、問題はその感情の部分なんだ。ほとんどの巨木はおおらかで優しいものさ、でも、ごくまれに人間にとって害になる場合がある。それがあの桜なんだ。なぜそうなのか、詳しいことは分からないが、でも原因はある。それは君には関係ないから話さないけどね。原因はどうあれ、今の君は桜の木に魅入られている状態なんだよ。
この状態を続けることはとても危険なんだ。君には分からないだろうけどね、でも現実に紗英は死んでしまったし、他にもあの桜のせいで亡くなった人は何人もいるんだ。あの桜は間違いなく、人を死に誘い込んでしまう魔桜だよ」
隆一は話し終えると大きく息を吐いた。
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第2章 その(5) [小説 < ツリー >]
<カミ>を語ることは、日本人の精神の歴史を語ることである。著者は、神話・伝説・昔話などの構造分析を手がかりに、文化人類学と民俗学のはざまから揺さぶりをかける。神々の棲む村、民話的想像力の背景、根元神としての翁、フォークロアの先達・筑土鈴寛(つくどれいかん)など、日本文化の深層にひそむ民俗的発想の原点を探り、柳田・折口以後の民俗学を鋭く批判した。人類学的視点から問いかけた刺激的な知の軌跡。
第2章 その(5)
翌日、鳥の鳴き声で目が覚めた。こんな目覚めは久しぶりだし、夜中に目覚めることもなかった。夢を見ることもなく、あの桜の木の場所に行くこともなく過ぎた。一日の始まりは朝だと思える。
一人社務所に取り残されたときは心細い思いをしたが、こうやって気持ちよく目覚めてみると、それもよかったと思う。
ここで一人で過ごす一日を想像してみる。まず神社をゆっくり見学、まだこの神社の名前も知らないし、何が祭ってあるかも知らない。それから飯。戸棚にカップラーメンが置いてあるらしい。後は周辺散策をしてみよう。それしか思い浮かばないが、もうそれで十分な気がする。
裏口の戸を開けると冷気が吹き込みブルっと身体が震えた。山の斜面のようで下から風が吹き上げてくる。下界を目を這わすように見ていくと、昨日は気がつかなかったが遠くの方に小さく海が見える。
建物の周囲には、廃材の山とドラム缶があり、ドラム缶は焼却用に使っているのか周囲の土が焼けたような色になっている。建物の土台の木材は所々朽ちたようになり、補修した後もなく埃がたまり枯れ葉が吹き寄せられていた。
景色を見ながらゆっくりと歩き、社務所の正面に出ると、大きな石段があり、その先に本殿が見えた。
貧乏神社には違いないが、こうしてみると山と一体化したような存在感と歴史を感じた。その存在感を揺るぎなきものにするように、ひときわ大きく立派な樹木が堂々と立っている。
それは、あの桜よりも更に太く大きくそして圧倒される。凄い奴だと思った。見上げていると神社の本殿なんておまけのように思えてきた。神様がいるとしたら、屋根の下なんかにいないで、あの立派な奴と一緒にいるに違いない。あいつが神様だって言われたら納得してしまうだろう。
あいつに触りたい。無性にそう思う。あの古びた木肌に手を置いて耳を傾けたい。俺は軽快に石段を登り、もう一度その巨木を下から見上げた。こんな奴に出逢ったらもう言葉もない。桜のようにいかにも古木といった瘤や虚が見あたらず、まるで鉛筆のように真っ直ぐ天に向かって伸びていた。木の周囲はロープで囲ってあり、側に立て札がある。大きな字で、天然記念物と書いてある。その下の小さな字は古ぼけてよく読めないが、どうやら杉の木らしい。
ロープを超え、直接木肌に手を触れた。地中深くから吸い上げられた水が樹木の水管を通り、頂点まで上がっていく音が伝わってくるように思える。桜の木にするのと同じように両手を広げ抱きついてみた。
徐々に身体の感覚が失われていくような気がする。どこかへ吸い込まれていくような感じ。気持ちいい。桜の木も同じように吸い込まれる感じがするが、最後は不安な気持ちを意識させられてしまう。こちらはただ気持ちよくて、そして……、切ない感じ。
この感じはどこかで味わったような、懐かしい気がする。そっと手を離しもう一度頭上を見上げた。あの切なさがはっきりと残っていた。なんだろう、この感じは……。
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第2章 その(6) [小説 < ツリー >]
ミステリーUFO
第2章 その(6)
もう、社殿など見る価値はないように思ったが、他に見る物もないので覗いてみた。思ったように、中央の一段高いところに鏡らしき物が置いてある。あの鏡に神様が宿るのだろう。それにしても鏡とは面白い。覗きこめば映し出されるのは自分なのだから。でも、昔の鏡は滅多にお目にかかれない貴重品だし、姿を映し出すこと自体不思議なことで、そこに神の働きを感じたのかも知れない。
それにしても、お寺には仏像があり、神社には鏡。仏と神とどう違うのだろう。中学校で習った歴史では、日本には元々たくさんの神々が居て、森の巨木にも神が宿ると考えていたらしい。そのうち、巨木の傍らに屋根を造り、いつの間にか神が屋根の下に入り、そして鏡になった。確かそんな風だったように思う。そして後から仏教が伝わった。当時仏教は最新科学のような扱いだったのかも知れない。古来の神々も居て外来の仏も大事。当時の人は困って便利な考えを発明した。たしか、神仏習合とかいった。まぁ、神も仏も同じみたいな乱暴な考えなのかも知れない。
でもそんなことはどうでもいい。昔の人が大木に神が宿ると思ったのはきっと正しいと思う。そんな気がする。田舎の家では、家の中のあちこちに神様がいた。もう、部屋ごとに神様が居ると言っても言い過ぎじゃないくらいだった。
仏様は信じるもので、神様は感じるもの……。そんな考えが頭に浮かんだ。
でも信じるって、何を信じるのだろう。仏教の最初の人、釈尊が感じて見つけたものを信じるのか。そうなると、神道にはそんな人はいないから、それぞれに感じたものが神様になるのだろうか。いったい日本全国にどれほどの神様が居るのだろう。そんなことを考えながら、社殿を一回りした。
石段のところまで行くと、手すりに掴まり、白い杖をついて中程で休んでいる老婆を見つけた。上から、
「おはようございます、大丈夫ですか」
と、声をかけながら老婆に近づいた。
「あ、あっちへ行ってくれ、お前は人間じゃないね、ここの神様でもない。キツネか、いや違う、寒気がする、ほっといてくれ」
老婆の慌て方は普通ではない、この俺がなんだっていうんだ。目が不自由そうだから声をかけただけじゃないか。かなりボケているのかも知れない。
「俺は普通の人間ですよ、安心してください」と、ゆっくり優しく言った。
「だまされないよ、ここで五十年も巫女をしてきた私にはお前が人間じゃないって分かるんだよ。早く行かないとひどいよ」
老婆は白杖を振り上げるようにして叫んだ。
いったい何だ、人が心配して声をかけたのに、先ほどの清々しい気分が吹っ飛んでしまった。俺は罵声でも浴びせたい気持ちだったが、
「わかった、わかったよ」と、吐き捨てるように言って石段を下りた。
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第2章 その(7) [小説 < ツリー >]
タントラ -インドのエクスタシー礼賛- イメージの博物誌 8 (-)
フィリップ・ローソン (著), 谷川 俊太郎 (翻訳)
第2章 その(7)
それにしてもひどい婆さんだ。俺が人間じゃないだと、ぼけるにも程がある。ああやって、周りの人を困らせているのだろう。少し散策してから飯と思ったが、あの婆さんが帰るまで待とう。それまでに飯を済ませればいいと社務所に帰った。
食事も済み、先ほどの婆さんも、足を引きずるような音がしたので帰ったはずだ。裏口から表に出ると、そこにはあの婆さんが粗末なベンチに腰掛けていた。
「まだいたか、お前は匂いで分かる。人間の匂いじゃない。獣でもない、私に何か用でもあるのか、それ以上こっちへ来るな」
さっきより落ち着いて見えるが、これ以上は近づかない方がいいだろう。
「俺は間違いなく人間だよ、二十二歳で大学生、こんな話をする化け物なんていないだろう?」
ただのボケ婆さんではないようだし、もっと話をしたくなった。
「何を言ったって無駄だ、匂いは誤魔化せないからね」
「匂いって、どんなですか?」
俺は、婆さんの感じている匂いを知りたくなった。
「お前の匂いはとても嫌な感じがする。これは悪いものの証拠だ。昔から悪いものが姿を現すときはこんな匂いがした。お前の姿形がどんなでも、悪いものには間違いない。用が無いなら早く消えてしまえ」
「俺は神主の片岡さんの知り合いなんですけど、それでも悪いものですか?」
「リュウの知り合い?」
「ええ、隆一さんから、ここに泊まるように言われて、それでここに居るんです」
そこまで話すと、婆さんはしばらく考え込むようにしていた。
「わかった、それなら教える。お前の匂いは死臭みたいなものだ。この匂いがすると悪いことが起こる。昔からそうだった。頼むからこの村に死臭を連れてこないでくれ。お前が人間ならリュウにきちんとお祓いをしてもらえ」
婆さんはそれだけ言うと、腰を上げ、何やらぶつぶつ言いながら帰って行った。
確かにいい体臭はしないだろうけど、死臭はないだろう、俺はTシャツをめくり匂いを嗅いでみた。あの婆さん、まだ俺のことを人間と思ってなかったに違いない。せっかくのいい気分が台無しになってしまった。
気分直しにもう一度石段を戻り、あの杉の木の下に立った。匂いのことが気になり、辺りの匂いを意識して嗅ぐようにした。動物の死骸でもあるのではないかと思ったが、何も変わった匂いはなく、木々の清々しい香りがするだけだ。
一体俺がどうしたというのだろう、昨日から、魔桜に魅入られて殺されるとか、死臭がするとか、ろくな事がない。お祓いをしろってなんだよ。
「ふざけんなー、バッキャヤロー!」
婆さんの帰っていった方向に大声で叫んでみた。聞こえただろうか。こだまが響くだけでシンと静まりかえっている。散策をする気分も無くなり社務所に戻った。いつもの習慣なのか、あれほどぐっすり眠ったのに眠気を感じる。布団の中に潜り込むといつしか意識は薄れていった。
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第2章 その(8) [小説 < ツリー >]
精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか (文春文庫) (文庫)
第2章 その(8)
薄れる意識の中にぼんやりと桜の木が見えた。その傍らに加代子がいて俺を呼んでいる。加代子なのは分かるが、顔が見えない。懸命に顔を思い出そうとするがどうしても見えない。思い出すのを諦めたとき、身体が緩やかに波打ち始めた。実際に動いていないことはかろうじて分かるが、感覚としては海の上に漂っているように思える。しばらくその感覚に身を任せていると次第に身体が軽くなり宙に浮いているような気がしてきた。やがて身体の重さを感じなくなり、全ての感覚がなくなってしまった。
「待っていたのよ」
加代子の声が聞こえる。声のする方向に顔を向けると、生まれたままの姿の加代子が立っている。
「なんでここに?」
加代子は俺が伊豆に来ていることを知らないはずだ。
「ここは秘密の場所よ」
「秘密の場所って、あの秘密の場所?」
「そうよ、きっと来るって思ってた。だって、あなたは呼ばれているのよ」
「呼ばれているって、誰に?」
「そんなの誰でもいいわ、それより、私を抱いてくれるでしょう」
加代子はそう言うと後ろを向き、桜の木に抱きついた。加代子の腰がゆっくりと動き始め、まるで桜の木に愛撫されているように見える。
忘れかけていた感覚が蘇り、体中の血液が音を立てて流れ始める。その血液が身体の中心部に集まると、加代子を求めて固まり始める。俺は夢中で加代子の身体に固くなったモノを押しつけた。
ガムランが聞こえる。無限に続く果てのない音楽とリズム、宇宙の創生期のような破壊と混乱、そして熱だ。これこそ生きている証だと感じる。加代子の身体の動きは激しさを増す。熱いものが滴り、カエルやトカゲ、蛇、うごめく生き物が苦しげに悶え痙攣する。俺はそれらの生き物を蹂躙し、加代子は木肌に爪を立て必死で耐えている。足下に無数の生き物の死骸が散らばり、加代子が断末魔のような声を響かせた。その声が桜の木に吸い込まれ、俺は加代子の尻に食い込ませていた指を離した。ゆっくりとした動きで加代子が振り向くと、顔があるべきところに真っ黒な空間がぽっかり穴を開けていた。それは、桜の木のうろ(空洞)のように見える。
驚いて身体を離すと、身体の重さとだるさを感じた。辺りを見回すと、カップラーメンの容器ややかんなどが見える。夢………なのか。
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第2章 その(9) [小説 < ツリー >]
生命(いのち)の暗号―あなたの遺伝子が目覚めるとき (単行本)
村上 和雄 (著)
第2章 その(9)
小さなストーブだけの寒い部屋なのに、額にはべっとり汗をかいていた。あまりにもリアルな夢だった。まるで、本当に加代子を抱いたような気がする。時計を見るともう昼過ぎになっていた。一体俺はどれほど眠れば気が済むのだろう。いい加減、自分の習慣に嫌気がしてくる。
昼過ぎに片岡さんが来ると言っていたのを思い出し、それまでに部屋の掃除と境内の掃除を片付けようと思った。風は冷たいが、天気もよいのでカビ臭い布団を表に出して干し、物入れから竹箒を取り出した。
枯れ葉を掃き集めるのだが、風が吹くと掃いたところにまた落ち葉がたまりきりがない。
掃いても掃いても枯れ葉は掃いた分だけ落ちてくる。いい加減うんざりしかけた頃、下から車の音がして片岡さんがやってきた。
「よう、やってるね、これから海に行かない」
「海で何するんですか?」
「ヨット乗り」
「ヨット?あれって、夏に乗るものでしょう」
「いいから、いいから」
片岡さんは、いやがる俺を引っ張るようにして車に連れ込んだ。
「ウェアーとか全部あるから、心配しないでいいよ」
勝手な人だと思うが、憎めない。
1時間程走ると港に着いた。プレジャーボート専用のマリーナではなく、漁船の中に混じってそのヨットは置いてあった。思ったよりも大きく立派な船体だ。
「今の時期に乗る人はここらじゃあまりいないけどね、たまに動かした方がコイツのためにもいいんだよ」
そういいながら、片岡さんは手際よく作業を進めている。乗ったらすぐに出発できるかと思ったら、あちらこちらのロープを繋いだり解いたり、なかなか忙しそうだ。コクピットという、舵のあるところでぼんやり辺りを眺めていたら、そこのシートを渡してくれとか言われる。どうも俺は下働きで呼ばれたようだ。
ようやく一段落したのか、片岡さんがコクピットに来て俺の隣に座った。
「もうすぐ美緒が来るからちょっと待ってくれ」
「美緒さんも乗るんですか」
「あぁ、そうだよ、あいつが言い出したんだよ、この真冬に乗ろうってね。ヨットにはまるっきり縁の無さそうな顔してるけどね、あれでなかなかの腕前で、そこいらの駆け出しよりはよっぽど信頼できるよ」
しばらくすると、遠くから手を振りながら歩いてくる美緒が見えた。
「ごめんね、待った、準備オーケーね」
そう言うと身軽に乗り込み、さっさとエンジンをかけ、色々なところをテキパキと見て回りチェックを終えた。
「祐介君、船酔い大丈夫よね、叔父さん、行くわよ」
美緒は俺の返事を確かめもせず、出航合図を出した。片岡さんは要領よく舫ロープを解き、ヒョイと飛び乗った。エンジン音が高くなり、するすると岸壁を離れてあっという間に港の外に出た。
港の外に出ると、2人は何も言わなくても分かっているようで、手際よく2枚のセールを揚げてエンジンを切った。ヨットは滑るように動き、ただ風の音と波の音だけの世界になった。
「なかなか気持ちいいもんだろう、少し走るだけで、回りになんにもない世界が味わえるんだ」
風は冷たいが確かに心地よい。
「海族って、このことだったの」
美緒に聞くと、
「そうね、これもあるけど、ちょっと違うかな」
美緒はしばらく景色を見ながら考えていた。
「山はね、頂上があるでしょう。そしてひたすら登って登って、最後は頂上。それ以上はないわ。始めと終わりがはっきりしてるし分かりやすい。下からだって頂上を見ることは出来るし、そこを目指すことが出来るでしょう。でも海は違うの。どこまで行ってもゼロメートル。底辺をひたすら進むの。上にも下にも行かない。頂上なんてどこにも見えないから、始めも終わりもない。とりとめが無く際限もない。果てのない世界なのよ。もう、うんざりするくらいよ。でも、行っちゃうのよね。どこかに何かがあると信じてね。私の海族はざっとこんな感じかなぁ。叔父さんも祐介君もそうじゃないかしら。サムシングを信じることが出来る人ね」
「それじゃぁ、まるで自分探しの旅だね」
「そうね、でも自分探しとは少し違うかもね。自分探しは弱虫のすることよ」
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第2章 その(10) [小説 < ツリー >]
「量子論」を楽しむ本―ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる! (PHP文庫) (文庫)
第2章 その(10)
「タック行くぞ」
片岡さんが大声で叫ぶと、美緒は機敏に動き、ヨットは向きを変えた。
「俺が海族だって?」
片岡さんが嬉しそうに笑って言った。
「叔父さんはプカプカ漂ってるだけの海族ね、」
「ああ、それでもいいね、果報は寝てまてだ。生半可動き回るよりね、じっくり回りを見ながら漂ってる方がよく見えるってもんだよ。
自分探しなんて思ってる奴はね、何にも見ちゃいないんだよ。動き回ってるばかりでね。見えないから余計に不安になってまた動く。これの繰り返しで、じっくり見ることが出来ないんだね。美緒がさっき言った、サムシングってやつ、信じることが出来ないんだよ。ヨットでもそうさ、何にも見えなくても、一つだけ見えてなくちゃいけない。自分の場所さ。これさえ見えて、信じることが出来れば、太平洋のど真ん中だってへっちゃらなんだよ」
「俺には見えてないですよ、自分の場所」
「ああ、祐介君は問題多いね、海族になりかけてるけど、下手したら幽霊族になっちまうぞ」
片岡さんはそう言うとまた笑った。何が面白いのか俺には分からないし、やっぱり俺は人間じゃないのかと思ってしまう。いい加減、この禅問答のような話はうんざりしてきた。
「ところで祐介君、今日の朝、変な婆さんに出逢ったろう」
「え、何で知ってるんですか?」
「あの人は、絹恵婆さんといってね、行かず後家、今は引退したけどね、親父の代からあそこの巫女さんやってくれてたんだよ。朝っぱらから電話してきてね、君のことを知り合いかって尋ねてきたよ。俺が知り合いだっていっても、どうも納得できないみたいでね、さんざん悪態ついて電話切ったよ。悪い人じゃないけど、思いこみが激しくて、ちょっと被害妄想的なところもあるんだ。でも目が不自由な分、勘は鋭くてね、時々俺も驚くことがあるほどだよ。君が人間じゃないみたいな言われ方をしたのはね、少しは当たっているんだ。例の桜だよ。あの婆さんは本当に鋭いね」
「当たってるって、どういうことですか」
ここまで言われると本当にへこんでしまう。
「君と桜と波長が合っているって言っただろう、友だち同士だって、気の合う奴とか、一緒にいつもいる奴とは、いつの間にか表情や仕草が似てきたりするだろう。それはすでに内面的な部分ではかなり似通ってきたり、まぁ、別の言い方をすれば、2人の精神的な部分の中心みたいなところがコピーされていると言ってもいいんだ。そのくらいに近くなると、表面上の目に見える部分までコピーされたように似たりするんだよ。君はもうすでに、桜の何かの部分が無意識のうちにきっとコピーされているんだと思うよ。婆さんはその部分を敏感に感じ取ったんだろうね。
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第2章 その(11) [小説 < ツリー >]
モーツァルト:交響曲第39番
~ ニューヨーク・フィルハーモニック (アーティスト, 演奏), モーツァルト (作曲), ワルター(ブルーノ) (指揮)
第2章 その(11)
あの桜の木には恐ろしいモノが宿っていると言っていい。その正体ははっきりしないけどね。そんなこととは知らず、君はあの桜の姿に惚れ込んでしまった。惚れ込まされてしまったという方が正しいかも知れないけどね。で、惚れ込むと言うことは、精神的にはかなり無防備な状態で、相手に対して全てをオープンにしているんだよ。そして君は知らず知らずに恐ろしいモノを心の中にコピーし宿してしまったと思う。
これほど言われても、まだ君の心は桜の木に惚れ込んでいると思うよ。まるで乳飲み子が母を慕うようにね」
片岡さんはまた大きな声で、「タック行くぞ」と叫んだ。
美緒はテキパキと動き船はスムーズに向きを変えた。舵さえ動かせば、好きな方向に行けるのかとおもったら、方向を変えるだけでもたくさんのロープを緩めたり絞ったりしている。これを間違えると動きが止まったり、時には横転するようなことにもなるらしい。
「お祓いって出来るんですか?」
俺は婆さんの言っていたことを思い出して聞いてみた」
「おう、出来るよ。でもな、この手のお祓いはやったこと無いんだよね」
それはないだろう、人をその気にさせて置いて、いきなり階段を外されたような気分になってしまう。この人は本当に信用していいのか分からなくなってきた。嘘でも、
<俺に任しておけ>
くらいのことは言って欲しい。
「頼りない神主さんね、大丈夫かしら」
美緒はそう言いながら、片岡さんの顔を覗きこむように見ている。
「お祓いって、本当に効くんですか?」
俺は一番気になっていることを聞いてみた。
「神主に向かってその質問は許せん……と言いたいところだけど、実のところ分からん。確かめようの無いことがほとんどだからね。何事もなかったから効いたと思う人はいないだろう」
「でも、やってみるんでしょう」
「ああ、一応そのつもりで、三日間居てもらうことにしたからね」
美緒は俺の方をみて、安心しろとでも言うように頷いて見せた。
「自分ではあんな事言ってるけどね、叔父さんのお祓いは評判いいのよ、叔父さんが凄いのか、絹恵婆さんが凄いのか、そこのところは分からないけどね」
「あの婆さんもお祓いするんですか」
俺はあの婆さんの怒った顔を思い出しながら聞いた。
「ああ、あの婆さんがいたほうがいいんだよ、特にこんな場合はね。相当君を嫌がってたけどね」
「いつにするの」
「明日のつもり、実は婆さんも強力はしてくれるよ、めっちゃ悪態つかれたけどね、でも俺の頼みは断れないってさ」
片岡さんはまた面白そうに笑った。この人はつかみ所がない。どこまで本気でどこまで冗談なのか分からない。だが、もうそこまで段取りしてあるのは心強く感じた。
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第2章 その(12) [小説 < ツリー >]
至上の愛(デラックス・エディション)
~ ジョン・コルトレーン (アーティスト, 演奏), マッコイ・タイナー (演奏), ジミー・ギャリソン (演奏), エルヴィン・ジョーンズ (演奏), アーチー・シェップ (演奏), その他
第2章 その(12)
ヨットはいつの間にか向きを変え、港の方に向かっていた。風の音を聞き、波の音を聞きながら先ほどの話を思い返した。
事の重大さに気づいていないのは俺だけで、美緒と片岡さんの2人は軽口を叩いてはいるが、実は本気で戦おうとしてくれているように思える。俺にあまり心配させないようにと、わざとあんな話し方をしているのではないだろうか。
俺の中に宿っているモノってなんだろう。アパートでの生活を思い返すと、確かに自分でも変だと思うことがある。加代子とのこともそうだ。今までは加代子に対してあんな風に思ったことはなかった。もっと大切に思っていたはずだ。なのに今は蹂躙する喜びを感じている。一体こんな気持ちはどこから生まれてきたのだろうか。確かに考えれば自分の中の何かが変化してきていることが分かる。
港に着くと、片岡さんは用事があるからと一人で帰り、俺は美緒の車で神社まで送ってもらうことになった。途中でスーパーに寄り、俺を一緒に連れて入って食材を色々買い込んでいる。
「今夜は私が美味しい食事を作ってあげるわ。カップラーメンばかりで飽きたでしょう」
美緒はスーパーの買い物かごの中身を調べながら言った。
「ああ、ありがとう、美緒さんは家庭的なんだね」
もう少し気の利いたことを言えないのかと、後から気恥ずかしくなった。
美緒は、俺に気があってアプローチをしてきたと思っていたが、どうもそれだけではないようだ。伊豆に来てからの美緒の態度は、桜の下で抱き合ったときの印象とはかなり違ってきた。
神社に着いた頃にはすっかり暗くなり、あの古ぼけた神社もまるで別の世界の建物のように見える。吹き付ける寒風が身体の震えを誘っているのか、それとも別の感覚が何かを察知し、身体を震わせて警告しているのか分からない気がする。美緒は俺の腕を掴み、身体をすり寄せるようにしているが、歩きながら身体の震えが伝わってくる。二人とも同じように感じていると思うが、美緒は何も言わず、ただしっかり掴まって歩くだけだ。
社務所の中は冷蔵庫のように冷え切っていて、薄暗い白熱電球の光は心細さを意識させてしまう。石油ストーブを点火すると、小さなリングとなった火の輪が次第に大きくなり、一緒に並んで座っている美緒の顔をほんのりと赤く染め始めた。
「彼女、怒らない?」
美緒は炎を見ながら小さな声で訊いた。
「あの人は怒らない人だから」
美緒は、俺に彼女がいることは知らないはずだが、きっと分かるのだと感じた。嘘をつくことも出来るが、この赤い炎の前では自然に正直になってしまう。
「あなたのことが本当に好きなのね」
そう言うと、黙って炎を眺めている。炎は揺れ動き、まるで生き物のように見える。その動きを見つめる美緒の横顔は、何かの決断をしようとしているようだ。感情に流されないよう懸命に耐えているようにも見える。俺はゆっくりと顔を寄せ、頬に軽く唇を触れた。
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